こんにちは、絶學無憂です。

 

これも記事にする、あれも記事にすると、約束しながらほとんどできないまま、一月が終わってしまい、もう2月も半ばに差し掛かろうかというところです。

 

1月は投資の勉強と、めちゃめちゃ実用的な靈氣のオンライン講習(また卒業生が出ました!随時募集中なのでFacebookもしくはコメント欄、もしくは zetsugaku.muyuのgmailからお問い合わせください。)、それに加えて英語を教えたりもしていて、あっという間でした。

 

 

さて、無憂などど言う名前をつけていたら、本当に日常生活で感情的に心が揺れるということがほとんどなくなってしまいました。一昨日も、私が教えている学生に、「20代の頃の私は24時間ずっと怒っていて、常に誰かを批判していたよ」と話したら「信じられない。そんなところ見たこと無い。一体何が起こったんだ?」と言われたので「 A lot!(たくさん)」と答えました。詳しく聞いてきたら教えてあげようと思ってるんだけど、なかなか聞いてこないんだな(笑)。

 

 

ところが、こんな私でも例外的にめちゃくちゃ感情的になる場所があります。

 

はい、テニスコートです。

 

所詮は初心者なので、試合を有利に進められることも少ないですし、負けることのほうが圧倒的に多い。自分よりも圧倒的に上手い人の前で大差をつけられたりして、思いっきり極性(上手い・下手、強い・弱い、という二元性)を体験するわけです。そもそも極性を体験するためにテニスを始めたのではないかという気もするし、テニスに関しては自分自身が入れ込んでいるからバランスを失って真ん中から外れてしまうのもしょうがないのかな、などと思い、割とこれを放置してきました。ま、折に触れて、強いネガティブ感情を体験したときには感情解放をしており、何回か記事にもしていますけれども。

 

ですが、先週は、これまで一緒にやったことのない上級者と組んだり対戦することになり、ものの見事に極性の中にハマって、己の下手くそに嫌気が差して、戦意喪失、ボールを走って追う気もなくなり、「もういくらでもポイントなんかくれてやら、負けていいや」と自暴自棄になって、よほど放り出して家に帰りたいくらいになりました。

 

この後、一応最後まで続けたのですが、帰宅してから、それにしても強烈なネガティブ感情を体験したなーと思いました。これまで、まあテニスは勝ち負けのある競技だからしょうがない、なんてごまかしてきたが、原則に戻って考えると、

 

感情 = 出来事 × 観念

 

ですから、6-0で負けようがなんだろうが、出来事自体はニュートラルで、私が何か観念を持っており、その観念が目に見えない世界(おそらくはいわゆる高次元)にまで拡大している、ハイヤーマインド(ハイヤーセルフ)の持つ、高い波動のエネルギーと一致しない、つまり、自分にとって有害な観念であるからこそ、ネガティブ感情を体験したはずです。

 

この原理がテニスコートだけは例外で、6-0で負けることがダイレクトにネガティブ感情を発生させるなんてことはおかしいわけです。もちろん、主観的には、この上級者がペラペラ喋りながら、ドロップショットと使ってきたり、えげつないボレーやスマッシュを決めてきたりするのが腹が立つ、とその時は思っていたのですが、これらそのものに意味があるのではなく、私自身がこれらにネガティブという価値を付け加えたはずです。

 

これだけ強烈なネガティブを体験したということは、よほど有害な観念をまだ持っていて、それがたまたま仕事の場面ではほとんど浮上しないが、テニスコートでは状況的に浮上しやすい、ということでしょう。これはヤバいな、と思いました。

 

 

じゃあ、それは一体何だ?となります。

 

そのネガティブ感情を体験している場面を思い出しながら、そのときに自分が考えていたことを調べて、「〇〇であるべきだ」「〇〇でなければならない」というような観念を探します。

 

筋肉反射テストも使って調べたのですが、年齢遡行をするべき、と出たので、調べますと、この観念を自分が握りしめたのは5歳と出ました。それをヒントにして、幼稚園で他の子がやっている運動を自分ができなかったときの悔しい思い、というのが出てきました。具体的な場面の記憶はないのですが、なんかそういうことはあったなーという感じです。

 

任脈・督脈、肝経・胆経、心経・小腸経・三焦経、胃経・脾経、肺経・大腸経

の経絡のスイッチが切れます。

 

これの正体は何かというと(言葉にするとチョー恥ずかしいですが、ま、5歳児なので....チュー

 

「お前たちが俺よりも上手いなんてことは許さんムキー

 

でした。ところが、私よりも上手いわけで、思いっきり自分が信じていることと真逆の事態が発生しており、それに対してキレていたのですな。

 

あー、恥ずかし。

 

数値化すると、0をタダの言葉、10を絶対真理とすると、8くらいこれを信じているということです。

 

 

私は「お前たちのほうが自分よりも上手いというのは許せない」という観念を手放します、と唱えてから、

 

般若心経の真言を唱えます。

 

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

 

(ぎゃーてーぎゃーてー はらぎゃーてー、はらそうぎゃーてー、ぼじそわーかー

これで数値は0。

 

まあ一件落着と。