こんにちは、絶學無憂です。

 

つい一昨日に般若心経の最後の部分の真言に感情解放の効果があるというのを見つけたばかりですが、興味が湧いてきたので、お題の豊富な協力者を得て(私自身は解放すべき感情や観念がパッと思いつかないので)いろいろ遊びました。

 

結論から言うと、般若心経の最後の部分の真言(呪、しゅ)を唱えることで、

 

  • そのとき浮上している感情を解放することができる
  • 観念(思い込み)の解放ができる
  • ゴール設定のエネルギー調整ができる

 

ようです。

 

また、昨日試した限りでは、

 

  • 真言を唱えるのは自分でなくても良い
  • 真言の音が聞こえないと効果が充分に表れない(もしこれが再現するならば、離れたところにいる人に対して真言を唱えるよりも、自身で真言を唱えるほうが効果が高い、ということになります)

 

ようでした。

 

うーん、音叉よりもレイキよりもシンプルかもですね。

 

いくつものお題で試しましたが、ストレスを生み出しているような観念を見つけては、新しいゴール設定を行い、指標筋のスイッチが切れている状態で、

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

 

(ぎゃーてーぎゃーてー はらぎゃーてー、はらそうぎゃーてー、ぼじそわーかー

と唱えること一回。

 

毎回、毎回、それだけで指標筋のスイッチが入るのみならず、本人の感じ方に変化が生じていました。もちろん協力者はあまりに簡単なので拍子抜けしていました。でもしょうがないですね、本当にそうなっちゃったんだから。

 

 

 

通常、般若心経が重宝がられるときというのは、お経全体を唱えますね。空即是色、色即是空、という有名な経文です。

 

ですが、お経に書いてある内容というのは、

 

  • 実体があると私達が信じてきた現象界は「空」である
  • この事実に気がついたとき一切の苦厄を彼岸へ渡すこととなる
  • 末尾の真言は、彼岸へ至るための知恵(般若波羅蜜多)の真髄にして極めて強力なものである

 

ということに要約できると思います。

 

 

 

「空」というのを「ヴァーチャルリアリティ」というように読み替えると、此岸というのはヴァーチャルリアリティの中の世界、彼岸というのはヴァーチャルリアリティの外側。

 

我々が体験している現実世界というのは一切がすべて此岸=ヴァーチャルリアリティの中の産物であるので(五蘊一切空)、生まれたり滅んだりしているように見えてもそれは実際に起っているわけではない(不生不滅)、汚れたり清められたりという変化があるように見えてもそれはヴァーチャルリアリティの中での表現に過ぎない(不垢不浄)、というように意味が通ります。

 

このからくりに修行を通じて体験として気がつくこと、それがすなわち彼岸へ至り、悟りを開く、ということである、と理解できます。これは映画マトリックスが象徴していることです。
 
そしてこの末尾の真言こそは、彼岸へ至るための最高の知恵、般若波羅蜜多であり、唱えることで一切の苦厄を取り除くことができる、と書いてあります。
 
ですので、素直に読めば、経文全体を読むべしとはお経自体には書いてないように思うのですね。
 
 
 
ひょっとすると、経文全体を唱えると数分かかるので、その間にたとえば感情ストレスそのものから意識がそれてしまうかもしれません。すると末尾の真言にたどり着いても、威力が発揮されないということがあり得るかもしれません。
 
どうしてこれほどポピュラーなお経の、これほどはっきりした効果が、信じる信じないとか、ご利益とかそういう理解にとどまっているのかを不思議に思った次第です。
 
また機会があれば調べてみたいと思います。