こんにちは、絶學無憂です。
せんだって、テニスコートでの怒りのエピソードをご紹介しましたが、ともかく最近の自分の生活の中であれくらいはっきりと怒りを表現することって本当に珍しいんですよね。前の記事を書いたときは、これについては直す気もなかったんですが、数日して振り返ると、同じような場面で、怒っている自分の姿がチラチラと重なってきました。
ひとつはやはりテニスコートでまた他の人から、頼んでもいないのにアドバイスを受けたとき。ともかく他人から指図をされるとめちゃくちゃに腹が立つんですね。もうひとつは、うーんと遡って、小学校の体育の時間。なにか大勢で入り乱れてやっていたときに、体育の教師に「そこをどけ」っていう感じで軽く肩を押されたときにそれはそれは激しい怒りと憎悪を覚えましたよ。中学校だったかもしれません。
これらがどうも繋がっているような気がして、これはやはり感情解放が必要かなと思い直しました。
筋肉反射テストを使って調べます。
これらは関係がある(はい)
これらは母と関係がある(いいえ)
これらは誕生時のストレスと関係がある(いいえ)
この怒りの感情の種はいつからあるのか?
生後五ヶ月
相手は家族の誰だろうか?父親
この感情を浮上させたときの経絡の状態は?
膀胱経・腎経以外のすべての経絡に乱れあり
この感情を描写すると
ともかく激しい怒り
なんとしても戦うぞという気持ち
全身が怒りで緊張する感じ
強さは8(0から10で10が最大)
この感情に関わっている観念は
「他人は私の尊厳を乱すべからず」
0(ただの言葉であってどうでもよい)10(絶対的な真理)としたとき、この観念を信じる強さは10
この観念がなかったとしたら?
「他人は私の尊厳を乱すべからず」というのは圧倒的な真理だと思えるので、この質問は滑稽な気もしたが、はて?と思って考えてみたら、意外な答えが簡単に出てきました。
他人のアドバイスを素直に聞けてしまうのかも!!!
さて、靈氣で調整できてしまうのはわかっているので、私が月に一回文字解釈のレクチャーをしている般若心経の最後の真言をそのまま日本語で唱えてどうなるかというのをやってみたい、と思いました。
ご存じない方もおられるかもしれませんので、補足すると、いわゆる般若心経、正式には般若波羅蜜多心経とは、大乗仏教で最も重要な経典とされ、経典としては非常に短いその字数の中に、般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)という、彼岸へ至るための知恵が語られている、とされるものです。
この般若心経の最後の一行は「呪(しゅ)」すなわち真言(マントラ)になっています。
この経典に書いてある通りであれば、この真言は彼岸へ至るための真理として最強のものだということですから、私がテニスコートで、相手からアドバイスを受けたことで感じた怒りのごときは一発で粉砕してくれないと困ります。
一般的な真言の多くが聖音である『オーム』(om、オーン)で始まるのに対して、般若心経の真言はそうなっていないことから、真言としては意味をなさない、という意見もあります(テーラワーダ仏教のアルポムッレ・スマナサーラ師)。つまり嘘っぱちの真言だという批判です。
まあ、ともかくやってみましょうや。
一生懸命テニスコートでの怒りを思い出して「あー、腹立った!」というところですかさず一回唱えました。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
(ぎゃーてーぎゃーてー はらぎゃーてー、はらそうぎゃーてー、ぼじそわーかー)
そしたら、テニスコートでの出来事は覚えているのに、そのときに感じた怒りの感情をもう再生できません。
そのときのアドバイスの内容だけ頭に入ってきます....
小学校の体育の時間で先生に押しのけられたのも覚えていますが、そのときの感情をもう味わえません。
0~10 | 真言前 | 真言後 | 変化 |
---|---|---|---|
感情ストレス | 8 | 0 | -8 |
観念の強さ | 10 | 0 | -10 |
きっと、般若心経の真言を批判したスマナサーラ長老は、実際に試したことがないのでしょうね。
私がマントラ(真言)というものを信じるようになったのは、やはりレイキがきっかけです。レイキにはマントラと呼ばれる文句があって、図形シンボルとマントラの音を組み合わせることで、魔法のようなことが可能になります。
言葉の音がこのような特別な力を持ちうるのならば、それはレイキだけのことではなく、古代からインドや中国に伝わっているマントラもそのような力を持っていたのでしょう。空海の神通力伝説はいろいろありますが、真言(マントラ)を使いこなしたことで発揮された能力があったのかも。
その昔、弘法大師空海が言ったそうな。
「真言は、不思議なものである。本尊を観想しながら唱えれば無知の闇が除かれる。わずか一字の中に千理を含む。この身のままで真理を悟ることができる。」