一日一笑。26日は、「いわき」を学びました。感じたままを書きます。とめでございます(祈)


いわきに行った目的のひとつは、震災で津波の被害を受けたいわきの海で、亡くなったり行方不明になった人たちのために手を合わせて祈り、現実(いま)を知ること

いわきの(いま)を、とめんずを通して知りたかったのです

朝からしまりすさんの案内で、小名浜の平薄磯地区から豊間、道の駅よつくらの海岸沿いを案内してもらいました

「ここの国道は本当に酷くて、全部瓦礫で埋まっていました。それを避けるために人の家の敷地を車で通っていかないと先に進めなかった。よく見ると歪んでいるでしょう?いまでも車を運転すると、地面が波打っていてバウンドするから良く分かるんです。」

「ここのホテルでは、地下室に逃げた従業員の方が溺れてたくさん亡くなりました」

震災から2年経っても、壊れた家がそのまま残っていたり、剥げた地面がむき出しになっているところもありました

住民760人のうち100人以上が亡くなった津波の被害が大きかった地域・・・車を止めて眺めた風景に、ほんとに言葉が出ませんでした

何もない・・・瓦礫は見えない場所に撤去されて、一見きれいに見えるのですが・・・ほんとに何もない

$とめさんの「お猫さまさま」-P1000005.jpg海に突き出た崖は津波で大きくえぐられて地肌がむき出しに、そして、手前の防波堤はあちこちなくなっていました

一面むき出しの家の基礎・・・そこは雑草で埋まっていました。ここに住んでいた方が書いたのか、基礎に色のついたお花のペイントがしてありました

$とめさんの「お猫さまさま」-P1000002.jpgここには確かに人がいて、暮らしがあった

とめさんの「お猫さまさま」津波に流されたピアノで有名になった豊間中学校

校庭には瓦礫の山と重機、壊れたままの学校の建物・・・

その奥の体育館は屋根以外がゴッソリなくなっていました

手を合わせながら涙が止まらなかったです。私が泣いてもしょうがないんですけど

とめさんの「お猫さまさま」道の駅よつくらの駐車場前に、壊れた船の残骸がいまでも山積みで残っていました

いわきや福島の人でさえ、ここにはまだ行けない(前の様子を知っているから見るのが辛い)と行くことができない人が大勢います

もしも私がいわきに住んでいたら、私もショックすぎて来れなかったと思います

ベニヤでふさがれた窓、塀のなくなった家、曲がりくねった標識・・・探せばまだまだあちこちにありました

原発事故で避難区域になって通れなくなった場所を指差す、大きな道路標識

・・・そのままなんですよ

原発事故の違った側面・・・人的問題や住環境の問題などがあることも知りました

東京にいてNEWSや新聞、ラジオ、ネットで知った情報はほんの一部に過ぎず、偏って流れていることも中にはあるということも分かりました

そんな中でもひび割れて陥没してボコボコの道はきれいに舗装され、かさ上げして新築された家もあり、生活している人たちがいました

私が知らなかった浜通りの震災

そこに行ったから見たから聞いたからって何もできないけれど、

いわきで被災した人たちに当時やいま現在の状況などをいろいろ教えてもらって、直接見に行って感じて知ることが出来たことは良かったと思いました

海に目を向けると、広い砂浜の続く先にサーフインをしている若者がたくさんいました

塩谷岬には、美空ひばりさんの石碑があったり、観光バスも来て観光客で賑わっていました

復興ってなんだ・・・支援ってなんだ・・・生きるってなんだ・・・

改めて考えるきっかけをもらった気がします

$とめさんの「お猫さまさま」-P1000008.jpg

いわきの人たち、被災した方々に、安心した生活やほっこり笑顔が少しずつでも戻るように心から祈りながら、海岸線を後にしました

しまりすさん、きっと思い出すのも辛いこともあったかもしれないけれど、一緒に見に行ってくださってありがとうございました。本当に感謝してます