男はつらいよ 寅次郎わが道を行く
★★

松竹/107分/1978年(昭53)8月5日公開 <第21作>    
原作    山田洋次    脚本    山田洋次 朝間義隆    監督    山田洋次
撮影    高羽哲夫    音楽    山本直純    美術    出川三男
共演-倍賞千恵子・下條正巳・三崎千恵子・前田吟・太宰久雄・笠智衆
ゲスト-木の実ナナ・武田鉄矢・竜雷太・杉山とく子


併映『俺は田舎のプレスリー』監督:満友敬司 出演:勝野洋、ハナ肇
動員数189万7千人/
ロケ地・熊本県田の原温泉
 

★「男はつらいよ」シリーズ第21作目。

1928年、昭和3年に東京松竹楽劇部として発足した松竹歌劇団SKDの全面協力で作られた回。浅草・国際劇場を本拠地とし、「西の宝塚・東の松竹」とも呼ばれ、戦前・戦後を通し一時代を築いた。しかし1970年代に入ると娯楽の多様化などに伴い、本拠地・浅草と共に斜陽化していき、松竹映画のドル箱シリーズとなった本作で何とか知名度向上をはかったが、公開3年後には国際劇場との契約が打ち切られ、地方興行などで興行を続けたがその9年後には活動停止、解散した。

いわゆる「大人の事情」の元に作られたこの回は、まずSKDありきから物語が構成されており、編集の冗長さも含めてシリーズの中でも低調な部類の出来となっている。

主題歌が終りいつもの通り寅は帰宅するわけだが、寅が帰宅する時の、佐山俊二演ずる備後屋とのやりとりがとても面白い。「備後屋、相変わらず馬鹿か・・・」と何時も寅に馬鹿にされている佐山はこの時60歳。渥美清とは浅草・フランス座からの舞台仲間。この5年後に舞台公演中に脳出血のため倒れ亡くなっている。

帰宅したその夜、おいちゃんの快気祝いの場で寅がとらやの将来について語るシーンとなる。自分がとらやを継いだらチラシを刷って配って週一度は安売りをする。そして繁盛してきたらビルを建ててやがては全国チェーンにしたい。その話を聞いて一同は白ける。私は何故そうなるのか理解できなかった。さくらも含めてどうして周りは寅を冷たい目で見るのだろう。

第14作「寅次郎子守唄」でも似たようなシーンがあった。自分の葬式を語るシーンだ。パァーと派手に葬式上げてくれと寅は語るのだが周りは白けきっていた。

当時の観客はこの「白ける」シーンをちゃんと理解できていたのだろうか?それとも私が単なるひねくれ者なのだろうか・・。ともかくそれがもとでタコ社長と喧嘩になり寅は出て行く。

やがて寅は熊本の田の原温泉で長逗留。そこで武田鉄矢と出会う。武田はなかなかおもしろい味を出している。山田洋次がこの年10月に公開された「幸福の黄色いハンカチ」で気に入っての連続起用だろう。その熊本にさくらが払えない寅の代わりに宿泊代を持って訪ねてくる。下町に住む庶民の設定では熊本を往復する旅費はとても大変だろう。しかし構成的に無理があろうがマンネリと言われようが松竹のドル箱シリーズとなったこの映画はさらにこの先20本以上も製作されていく。「男はつらいよ」なくしては松竹映画自体の存在も危うくなる。SKDと同じく観客の減少はどんどん進んで行き、映画の斜陽化が語られる時代だ。細かい所は目をつぶって行かないと40数本も作れない。

木の実ナナはこの時32歳。当時「ショーガール」などが評判のミュージカル女優。彫りの深い顔立ちだが向島生まれの生粋の日本人。今回の役名、紅奈々子は多分本人の性格に合わせた人物造形だと思われる。お喋りで気が強く、目立ちたがりで淋しがりや。

この作品の歌劇団のレビューシーンは木の実の仕事としての設定以上のウェイトを占めているのでとても長い。寅がレビューを見てそれに感化されて歌い踊りながら帰ってくるところなど、とても違和感がある。武田が上京して来て、その目的がレビューーを観る事というのもどうだか・・。当時は花の中3トリオが人気のアイドル全盛時代だった。今更レビューとは・・・。

ラストの木の実が最後の舞台で歌うオリジナルバラードも長過ぎる。歌の歌詞で感情を表すなどとは陳腐な表現方法でしかない。「大人の事情」で製作されたこの映画は、逆にその苦しい台所事情が可視化されてしまい、SKDの知名度upには貢献しただろうが劇場の動員を増やす結果にはならなかったはずだ。

ある意味で日本映画最後の撮影所出身の職業監督としての、山田洋次の矜持が見え隠れする一本でもある。