毎週日曜日は
オールを取り戻すまでの話を
書いています。
前回の話はこちらから
第1話はこちらから
自分の事を
「私は無力」と認識していた私は
小学生になってから・・・
O先生に認めてもらう事を
拠り所にしてしまいました。
小さい頃は純粋に
命を守ってもらう為に、母親に・・・
そして、その次には
アイデンティティーを守る為に、
O先生に・・・
自分のオールを
手渡してしまっていました。
そんな私は
小学校を卒業します。
そして、中学校に入学しました。
お見せする写真は・・・
かなり衝撃的なものです!
これが小学校を卒業したての
12歳の女の子ですか
と、驚いて下さいね~(笑)
うっひゃ~~~~~~~!
どっひゃ~~~~~~~!
何故にこの服を選んだの、私?
こんな12歳・・・
ないわ~~~~~!
顔と足元を隠したら・・・
まるで中年のおばちゃんですがな!
それほど・・・老けていたんです。
私。。。
小学6年生の時に服を買いに行って
「大学生ですか?」
と、言われていました
肌は当時の方が
ツヤツヤのピカピカだったでしょうけど
今の55歳の私の方が
きっと・・・若い
(それは、言い過ぎかしら?)
まぁ、どっちにしても
笑ける~
そこで・・・昨日の、この記事
当時の私は
早く大人になりたくて
仕方がありませんでした。
というか・・・
子供のままではあかん!
と、思っていました。
早く大人にならなければ!
物心ついた私は
同年代の友達がいませんでした。
あっちママに連れられて
大人の中で生きていた私。
小さい頃から大人の中でしか
生き場所をみつけられませんでした。
合奏団に入ってからは
少し世界がかわりましたが・・・
そこもある意味、かなり偏った世界。
幼い小学生が・・・
同い年同士で遊ぶような世界を
知らずに成長していきます。
よく妄想してました。
大人になったら・・・
もっと楽しい世界があるんだろうな~
もっと刺激的でワクワクする事が
一杯、一杯あるんだろうな~
早く、大人になりたい!
早く、大人になりたい!
しかも私の家庭構成者は、
しっかり者の姉さん女房の母親。
天然我儘ボーイの年下亭主の父親。
家庭の内外の対応は、
全て母親があたっていました。
頼りにならない父親。。。
私が早く大人になって、
母親をサポートしなければ!
とも、感じていました。
子供であっては
いけなかったんです。
というか・・・
子供であるな!
というメッセージを
無意識に
受け取っていました。
そんなメッセージを与えていた事・・・
母親は全く、思いもしてなかった
と、思います。
母は母で、精一杯生きていたんだと
そう、思います。
私が小学校高学年の頃。
母親は、近くの中学生を集めて
英語の塾を始めました。
家計を助ける為にです。
母親は、お金を稼ぐために
自分が出来ることを探した。。。
その結果、自宅を開放して
英語塾を始めたんでしょうね。。。
父親がこの事をどう感じていたのか?
父親が他界してしまってる今、
私には知る由もありません。
禁止令の
近寄るな!
欲しがるな!
については、又別の機会にでも・・・( ´艸`)
そんな私の中学生時代は
ある一つのビッグイベント以外は
ほぼほぼ・・・死んでたような毎日でした。
合奏団からも卒業して
何一つ、やりたいことがみつからない!
そんな毎日でした。
だって・・・
オールは母親とO先生に
手渡しっぱなしで・・・
取り戻せてなかったんですもん。
てか・・・
手渡していて、自分の手元にない事を
知らなかったんですよ・・・(´∀`*)ウフフ
やりたい事、みつけられないのも
ある意味、当然ですよね~
人生の主体が、
自分ではなかったんですから。。。
誰かの引いたレールに乗っかるか
誰かの許可が無いと動けなかった
そんな毎日でした。
そんな状態のまま
私は中学3年生になっていました。
やっと小学生時代が終わりました。
中学生時代のビッグイベントは
こちらから。。。