もう言ってしまうが。

マイノリティな人はその性質を持ってると自覚できるならそれなりに細々と生きてほしい。


語頭に「過激な」がついてまわる環境保護団体だとかフェミニストだとか菜食主義者だとか特異なセクシャルを持つ人とか。


その性質を「被害者」、世間一般のマジョリティを「加害者」として強引に置き換える傲慢をもう見ていられない。

道徳的優位性に泥酔したバカと対立する構造は本当にもう無理。全部に配慮しようとした結果のこの最悪な「今」だろ。


本来、弱者救済や多様性の精神はそれぞれが「個」として持つべきもので。

一人一人が周りの大切な人に配慮した結果が積み重なってこその「社会全体の多様性の尊重」であるべきだと考える。


社会そのものが主となって全ての多様と弱者に合わせようとするやり方は無理があるし融通が効かない。あっちを相手すればこっちは贔屓だなんだと泣きわめく。


だからこそ一人一人がまず身の回りに向き合う必要がある。


そこから逃げて社会そのものを相手取ってる連中はただただ道徳的優位性に酔っているとしか思えない。そら社会を敵にすれば楽だろ。誰だもが何も考えずとも弱者ぶれるかし戦う相手がそもそも存在しないのだから。


いきなりラスボスに挑むなよ。

伝わるものも伝わらないだろ。


俺は決して環境保護も菜食主義もバカにしてない。寧ろ尊重している。だが一部の人間のやり方が本当に気に食わない。


大義名分を得たバカは最後、他人に迷惑をかけてでも自分の正義を振りかざすドブカスに成り下がる。


そんな声だけでかいドブカスが割と結構いるから、プロパガンダよろしく、会社や国がそいつらの正義を利用して権利や金を搾取しているんだろう。


寄り添う振りをして、SDGsとやらに乗っかって、結局は君たちの正義ではなく自分たちの利益しか考えていない。


騙されんなバカ。


そこに肖って自分の不満や不快を大きい主語に置き換えて世間に主張する個人様も同様。

頼むからお前の不快はお前で面倒みてくれ。みんな大変なんだよ。お前個人の不快を「女」とか「男」とか「地球」とかのデカい主語にすげ替えるな。


そしてそれを真正面から汲み取ろうとする政治家や企業はもう居ねよ。

利益以前に民主国家に生きる企業としてしっかりやってくれ。


味の濃さが売りのラーメン屋で、「味を薄くしろ!」ってクレームが1件入ったからって味薄くしないだろ。

1割の声に合わせて9割がアホ見る光景何回みればええんや。国や会社の運営なんだからもっと毅然と民主主義やってくれ。無駄な議論と政策に金を使うな。ノイジーマイノリティが過ぎるって。


「退屈」と「裕福」が飽和して出てきた、本来問題にすらならないような問題にいちいち付き合ってられない。ありふれた言葉だけど最近の問題とされてる事は「贅沢な悩み」で片付くんだよ。


なのになんでそんなくだらない「贅沢な悩み」がいちいち社会全体の問題として議論されるかって、みんなに多様性を尊重しよう!の精神刷り込まれすぎ。


しかも勘違いが酷い。多様性は別に、「全ての事象に当事者意識を持とう!」では無いんだよ。


「お前関係ないだろ」をXで一日何件見ればいいんだ。肥大化した当事者意識に駆られた関係ない連中が関係無い問題を大きくして、本来マイノリティがマイノリティとして発言している事のはずなのに社会全体の問題なのでは?と錯覚を起こす。それも時には大切なことだけど。


それにしても君が今拳を振り上げた相手は、盾を構えた相手は、守ろうとした相手は、本当にそれらをするに値する人か?


奢る奢られる論争なんか「俺とお前」の中で済ませる話であってわざわざメディアが取り上げて全体に周知させる必要なんか無いだろ。奢られなかったお前は誰かにとっては奢る価値がなかっただけでその不満をいちいち社会にぶつけるな。んで他の連中も向き合うなアホらしい。


再三だが、皆多様性の尊重を勘違いしている。

全ての物事に当事者意識を持つことは構わないが、それ以前にあんたは身の回りの人間を大切にしているのか?

身近な人の多様を尊重出来た上で関係無い問題に首を突っ込んでいるのか?

最初にも述べたが、それらの意識は一人一人が手の届く範囲の人間に向けるもの。

それが積み重なって作るのが「社会としての多様性が尊重」だろう。


でも皆大きい問題にばかり釣られる。


いやわかるよ。

社会問題とかのデカい規模に頭突っ込んだ方が漠然と「他人を大切にできてる」感あるもんな。多様性、尊重できてる感じするよな。弱者の味方できてる感じするよな。


でもそれで何か変わったか?

身の回りで変化がおきたか?

大切な人は守れたか?

感謝されたか?


何も生まれてないだろ。


なら早く立ち返れ。

あんたの手の届く、大切な人と、沢山遊ぶ。

それが「人を大切にする」ってことでいいじゃないか。勘違いしないでくれ。それさえ皆が出来れば社会は良くなるはずなんだよ。


その大切な人の中に菜食主義者が居ようが、特異な性別を持つものが居ようが、環境保護に熱心な者が居ようが関係無い。


友達なら関係ない。


一人一人と「俺とお前」を「友達」をすればいい。一人一人と「多様性の尊重」をやればいい。助けが必要ならやれる範囲で手を貸せばいい。


社会の問題に耳を傾ける前に目の前の多様な悩みや弱さをもつ友人に寛容になれ。


いい加減、会ったこともない人間の味方して正義振りかざして暴言吐かれたらみっともなく傷つくとか頭悪すぎるんだよ。


みんな本来はもっと地に足の着いた、血の通った、現実に基づく「友達」や「生活」を求めているはずだろう。


でも実際は、現実では他人と向き合わない。そのくせSNSではネット弁慶よろしく肥大化した当事者意識を振り回して気持ちよくなってる。そんな連中ばかり。


要は傷つきたくないんだ。

現実は残酷だもんな。

他人と向き合ったら傷ついちゃうし傷つけられちゃうもんな。痛いの嫌だもんな。


その点SNSでは誰とどうなろうと、そこには無限に人が湧いてでるからいつでも替えが効く。便利で浅くて傷つかない良い場所だよ。


でもその利便に依存したが最後「替えが効く」ことが当たり前になって、「掛け替え無い」を忘れる。人を大切にできないゴミが生まれる。


替えが効くから、本来傷付くべき場面ですぐ逃げられるから、痛みを知らないから自分も誰かを傷付けて良いと思ってる。終わってる。


だから俺はSNSをやめた。