他者の人生を平気で見つめられ、
自分の生き様を見つめる視力をあえて悪くすることは、
我欲でありエゴイズムなんだろうか。


我欲を切る剣をみつけることもなく、
他者を殺める武器をもって自分を肯定し正当化しようとすることも、
我欲を助長するんだろうか。

誰しも持っているが、
心の奥底で糸を引く我欲の存在に気づくには大分時間がかかりそうで。


我欲
檻の中の珍獣はどこかに


2016.2.22
最高のもの、例えば食べ物や身につけるもの、生活のみを求める人も多いのかと。

ただ世の中には、最高でも最低でもない中間のものがひしめき合っている。


人によってものの価値観が違うから、
どこでもつまらないという感情は生まれるんだろうけど、
中間の層の中ではひっきりなしに出来事が起こり続けるだからだろうか、
なにか期待という幻想もまた詰まっているのかも。


中間
サバンナ効果とは人が心知らずに光のアフォーダンスによって左右されることを指すんだとか。

その光の先に安心や満足があるかは進んでみなければ分からない。


2016.2.19
万物は渦より発し 渦は万象を生む


体内を駆け巡る血は、生き続ける限りその動きを止めない。

人に置き換えるなら、渦とは活動か。


「始めることはその目的の半分を成し遂げたに等しい」とは、
故人が言ったそうだけれども、
活動はさまざまな波動の中心になるのかと。


渦
静止しているようにみえる太陽も月も回転している


2016.2.18
世界各地には多くの遺産と呼ばれる残りものがあるそうで。

遺跡についてある人はこう言っている。

遺跡を調べることは歴史を掘り起こすことだけれども、
それと同時に愚かな人間にもひとつぐらいいいところを確認する作業とも言い換えられるとか。

争いごとを行うのも、
その街や文化を築いたのも人間だと。

そこには人が死を恐れ、不老不死を求めた軌跡がどことなく漂うそうで。


残りもの
神の手という銅像

すぐれた「知恵」はいつもよりよく生きようとするところに生まれ、
それ以外の「知恵」は自らを自らの手で滅ぼした


2016.2.16
こんな単語のしりとりがあるそうで。


生活→歴史→戦争→女の不幸→子孫→進化→科学→宗教→罪→殺人→
貧乏→贅沢→人生→宝石→墓→海→航海→闘い


単語
力、勝利、雄弁の中にある自由という名の像

自由にはさらに生活という言葉が続くのかもしれないし、
闘いの先には力が続くのかもしれない


2016.2.15
とある本の一説にこんな表現が。

――親を不幸にするために生まれてきた子どもなんてひとりもいない。





幸
報い、不運、自爆、自業自得、自縄自縛、身から出たさび、
ブーメラン、自分で蒔いた種、因果応報、

いろんな人が様々な状況を各々表現するけれども、
状況にばかり嘆いて原因を追求しないことの方はいつから絶望へと繋がる病か。

2016.2.9
ホメロスの『オデュッセイア』では、

「予言者や病いをいやす医者、あるいは船大工か、
 その歌で人の心を楽しませる尊い歌人のような、
 みんなのために働く人のほかは、
 誰がわざわざ自分からよそ者を招くものか」

と第17巻の391章にあるんだとか。


よそ者
よそ者はよそ者らしくしていればいいけれど、
そんな自分だってあなただって何かしらのよそ者なのかな。

この部分だけを切り取ってみると真意は分からないけど、
隣の芝は常に青い訳で。


2016.2.8
釈迦はこの世界を三千大千世界と説いているそうで。

世界は地球や火星、太陽、海王星とか集まって1つの惑星宇宙。
それが千個集まると、小千世界。
その小千世界が千個集まり、中千世界。
中千世界が千個集まって、大千世界。

つまるところ、最初の惑星宇宙が千の三乗集まると、三千大千世界になるんだとか。


嵐
イタリア・ジョルジョーネ作 テンペスタ

テンペスタとは嵐という意。
彼が何を表現しようとしたか不明で議論の的となったこの絵画。
惑星宇宙もまたこうした地球上のあらゆる場面の積み重ねなのか。


2016.2.7
かつてテニスの世界では、パム・シュライバーという青年が16歳でデビュー。

新しいラケットと技術をもって旋風をテニス界に巻き起こしたんだとか。


村上さんはこうした事実を元に、

新素材と新技術はテニスを変え、
文化が経済を変えるのではなく、
産業・経済が文化を変え担っていくんだと。



セレンデピィティ
偶発は奇なり
なにがきっかけで結果に結びつくかはわからない
そんな不可思議さをセレンデピィティとも言うのだとか


2015.11.4
村上龍さんに言わせれば、

無知というのは情報がない状況を指すのではなく、
情報を欲しがらない、必要としない状況を言うのだとか。


消極的な無知はただただ現実に折り合いをつけてしまうことか。
積極的な無知はまた何かを続けることなんだろうか。


無知
無知だろうがなんだろうが
ああなんかいいなあと思えることはいいことなのかと


2015.10.29