心の中を旅してみよう。
そこには千の山と千の川があり、
その先にはまだ見ぬ世界が心の中には広がっているのだ。
と、確か中国の誰かが言っていたようで。
この言葉を知ったとき、
山本周五郎の『ながい坂』には次のような一説を思い出した。
一足跳びに山の頂上にあがるのも、
一歩一歩としっかりと登ってゆくのも、
結局は同じこと。
むしろ一歩ずつ登るほうが
途中の草木や風物を見ることができるし、一歩一歩を
たしかめてきたという自信をつかむことができる、と。
何かは何かとつながり、
何かがなければ何かにならず、
何かはいろんな色を彩り、
何かはいろんな音を奏で、
何かはいろんな形になっていく。
匂いもするかもしれない。
温かいかもしれないし、冷たいかもしれない。
嬉しさ悲しさも混じってるのかも。
ただ何かは一歩と同義語のような気がする。
自分の一歩を知るのは難しいことだし、
ましてや他人の一歩は知り難い。
ながい坂をみんなそれぞれの歩調で歩いているんだから。
彼らの歩調を知りたいと今日は無性に感じた。

眼前に広がる草原には何かがたくさん歩いていた
2013.7.3
そこには千の山と千の川があり、
その先にはまだ見ぬ世界が心の中には広がっているのだ。
と、確か中国の誰かが言っていたようで。
この言葉を知ったとき、
山本周五郎の『ながい坂』には次のような一説を思い出した。
一足跳びに山の頂上にあがるのも、
一歩一歩としっかりと登ってゆくのも、
結局は同じこと。
むしろ一歩ずつ登るほうが
途中の草木や風物を見ることができるし、一歩一歩を
たしかめてきたという自信をつかむことができる、と。
何かは何かとつながり、
何かがなければ何かにならず、
何かはいろんな色を彩り、
何かはいろんな音を奏で、
何かはいろんな形になっていく。
匂いもするかもしれない。
温かいかもしれないし、冷たいかもしれない。
嬉しさ悲しさも混じってるのかも。
ただ何かは一歩と同義語のような気がする。
自分の一歩を知るのは難しいことだし、
ましてや他人の一歩は知り難い。
ながい坂をみんなそれぞれの歩調で歩いているんだから。
彼らの歩調を知りたいと今日は無性に感じた。

眼前に広がる草原には何かがたくさん歩いていた
2013.7.3