こないだの週末、LGBTに関する日本初公開映画call me kuchuをみてきた。

https://www.youtube.com/watch?v=52EYw9WZyF8


ウガンダでの同性愛者に対する見方がここでは描かれていた。


例えば、こんな法案が提案されてるんだとか。

同性愛者が同性と2度以上性行為を行った場合、
また同性愛者が障害者、未成年と性行為を行った場合死刑。
それを目撃したものは24時間以内に通報しないと3年以上の禁固刑。

映画の中ではこんなシーンもあった。

いきなり自分の顔が朝気づくと大衆新聞に場所も掲載されていて、
仕事はもちろんなくなり、
地元住民は彼や彼女に対して罵声だけでなく投石や身体的精神的暴力を行使していた。


暴力の構造だとか権力関係、メディアの影響力とかいろんなことを考えさせられた。

アメリカのキリスト教右派や国連、さまざまな人権団体がここでは出演してたけど、
今多くの時間を接するのが障害児なんだろうか、
どうもマイノリティというものに対して印象づけられた映画だった。


マイノリティというのは組織や社会に属する限りどこでも存在するものかと。
目に見える形ではそれは明らかに誰しも経験していることだし、
精神的なとこではもっと多岐に渡るのかもしれない。


今日は作業療法士の人と少し話す時間があった。
日頃接する子どもには日常生活をするにはいろんな不都合があると言われる子が多い。
彼の話を聞いていると、

姿勢が悪いとか(礼儀正しくないとふと思ってしまう自分)
着替ることが難しい(着替えられないとふと感じてしまう自分)
歩き方が不安定
手の機敏性がない(とたまに思ってしまう自分)
等等

困難ではないかと自分が思っていたことが実はそうではないことが理解できたような気がした。


と同時に、多数派だと勘違いしてる自分もまたマイノリティだと思った。

マジョリティだってマイノリティだって、
尺度さえ変えてしまえばその値は常に変動してしまうのではないかと思ってしまうから。


$5udaのブログ-マイノリティ
自分が多数派でも少数派でもいいけど
多数派なら少数派を考えたいし
少数派なら多数派を視野にいれたい


2013.5.21