人には発達段階というものがあるのですが、

今接している子ども達というのは、

一般のレールとは違う道を歩んでいる訳です。


10歳の児童であっても、
2歳児と同じような段階が当たり前で、

しかもそれ以上の
タテの発達にはある程度の段階が来たら終わりなんだとか。


ただそうした発達終わっても、
経験というヨコの発達はいくらでもできるんだと。


いわゆる2歳児や3歳児でも、
意思や性格ははっきり個々人によって違うし、
学ぶ意欲もある。

ただデューイ的に言うならば、
2歳児3歳児には、
それぞれに見合った「生活圏の広がり」しかもたないのだから、
実年齢が10歳であっても、
2歳児や3歳児と同等の生活圏内で学べることに限られるのだろう。

だから、まわりの介助や支えが必要な人たちなんだと思う。


こうして考えてみたら、
今目の前にいる相手が例えば10歳児であったり、
15歳だったり、25歳だったりと、
年相応の発達段階を知らないあいだに彼らに求めてしまっているような気がした。


仮に「3歳児」だったら、
相手がトイレに失敗しようが食事をこぼそうが言葉が通じなくたって、
なにか通じるところはあるんじゃないかと見守ってあげられるんじゃないだろうか。


尚且つ、そうした行為に愛らしさや安堵感、生きた心地すら感じるのかもしれない。
だから自分たちも「3歳児」に尽くすことは、
そうしたなにかを得ていることでもあるんだと思う。


永遠に彼らは「3歳児」なんだろう。

そう考えたら、
今してることの意味だとか、
彼らの存在理由が、
なんとなくだけどわかるような気がした。

もう少し彼らの不思議な発達のレールに乗らせていただきたいと。


$5udaのブログ-発達
どこかへ通じるレール


2013.2.14