最近、先輩隊員と一緒に各任地の小学校を対象に
算数の学力を図る統一テストを実施しました。
東南アジア含め、あらゆる国ではカンニングが横行していると聞いてましたが、
実際に目の当たりすると、様々な方法があるんだなとむしろ感心してしまいました。
普段、学校の授業は先生の黒板の板書の写しではじまり、写しで終わります。
だから、すべての授業が国語になってしまうことも。
鐘がなったら子どもたちを教室に入れ、当の教師は入らずおしゃべり。
お菓子を買いに行ったり、子どもたちの板書中はけーたいをいじったり、
挙げ句の果てには優秀な子どもに最初の板書も任せてしまう教員もいると聞きました。
試験当日も、どっかで入手した試験用紙を前もって書き写し子ども達に教えていた教員がいたり、
カンニングをしなさいと堂々と指示する教員、
わかる子はわからない子に教える、これが美しいことだと思う、と教員が言ったと聞いた時は、
これが文化の違いなんだなと感じました。
子どもたちも堂々とみる子、
配布した計算用紙ごと変える子ども、
日本人がまだラオ語がわからないと思って口答で伝え合ったり。
採点して尚驚いたことに、名前ごと丸写ししていた子どももいました。
ただそんな中でも子ども達同士で注意し合ったり、
できなくても自分の力でなんとか頑張ろうと努力していた子ども達もいました。
その背景には、教育とは何かと考え実践している教員の姿がありました。
テストはテストに慣れていない子ども達の意欲を下げてしまいかねないものなのかなぁと思うので、
個人的には好きなものではありませんが、
このテストを通して改めて教師の大切さを感じることができました。

テストを受ける子ども①

テストを受ける子ども②

激写カンニング

試験を説明する人
算数の学力を図る統一テストを実施しました。
東南アジア含め、あらゆる国ではカンニングが横行していると聞いてましたが、
実際に目の当たりすると、様々な方法があるんだなとむしろ感心してしまいました。
普段、学校の授業は先生の黒板の板書の写しではじまり、写しで終わります。
だから、すべての授業が国語になってしまうことも。
鐘がなったら子どもたちを教室に入れ、当の教師は入らずおしゃべり。
お菓子を買いに行ったり、子どもたちの板書中はけーたいをいじったり、
挙げ句の果てには優秀な子どもに最初の板書も任せてしまう教員もいると聞きました。
試験当日も、どっかで入手した試験用紙を前もって書き写し子ども達に教えていた教員がいたり、
カンニングをしなさいと堂々と指示する教員、
わかる子はわからない子に教える、これが美しいことだと思う、と教員が言ったと聞いた時は、
これが文化の違いなんだなと感じました。
子どもたちも堂々とみる子、
配布した計算用紙ごと変える子ども、
日本人がまだラオ語がわからないと思って口答で伝え合ったり。
採点して尚驚いたことに、名前ごと丸写ししていた子どももいました。
ただそんな中でも子ども達同士で注意し合ったり、
できなくても自分の力でなんとか頑張ろうと努力していた子ども達もいました。
その背景には、教育とは何かと考え実践している教員の姿がありました。
テストはテストに慣れていない子ども達の意欲を下げてしまいかねないものなのかなぁと思うので、
個人的には好きなものではありませんが、
このテストを通して改めて教師の大切さを感じることができました。

テストを受ける子ども①

テストを受ける子ども②

激写カンニング

試験を説明する人