- 大聖堂 BOXセット (ソフトバンク文庫)/ケン・フォレット
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久々ハマッタ小説。
こんなものが20年以上前に出ていたとは。
次の展開にワクワクしてページをめくる手が止まらず、上・中・下1800ページを一気に読んでしまうほど◎
再度上巻の1ページを開くと、その1800ページがまるで1本の糸で繋がっているかのような錯覚を体感。。
続編やドラマhttp://www.youtube.com/watch?v=pU3bUJroGNg
もあるので、じっくり堪能していこうかと。
舞台は12世紀のイングランド。
壮麗なる大聖堂の建立をめぐり、半世紀に及び数多の人びとが織りなす波瀾万丈の物語。
いつの日か大聖堂を建てることを夢見る建築職人。
権力や自己に対する甘えに屈せず、腐敗した教会を人生をかけて立て直す敬虔な信仰者。
権力と豪華絢爛たる自己を保持しようとする見かけだけの信仰者。
置かれた環境に毅然と立ち向かう王妃。
ひたすら人を恨み、嫉妬し、暴力で民を統一させる豪族。
それぞれの性格、表情、雰囲気、心の内面、体感していることが詳細にわたって描写されているので、読み終えた後、彼らがどんな人物なのかがまるで会った人かのようにくっきりと覚えているほど。
「半世紀」
という年月がいかに多くの物語を創り出していくのか、というのを体感させてもらった作品。
若さは老いに、
情熱は熟考へ。
時には聡明な道から愚かな道へ転落し、
熱意も諦めへと変わる。
それも10代、20代の過ごし方如何によるかと。
asahi新聞からの引用↓
あまりの長さに尻込みする読者もいるだろう。巻末で児玉清が解説するように(愛情溢れるいい解説だ)、物語のうねりに翻弄され、読み終わったときにはへとへとになる。だからすぐ読めとはいわない。しかし充実の読後感はおそらくあなたの心に一生残る。死ぬ間際に「ああ、私は面白い本を読んだ」と回想できるなら、それは至福の人生なのである。
http://book.asahi.com/review/TKY200905120112.html
心に残った箇所↓
『大聖堂』上
命令には従わず、上位修道僧の威権に反抗し、食物を盗み、卵を割り、馬を放ち、弱い者をバカにし、年長者を愚弄した。唯一彼フィリップが手を出さなかったのは、神聖を冒瀆することであった。その故に、修道院長は彼の悪行のすべてを許した。p155
敬虔な気持ちで神に捧げられた人的資源を、どぶに捨てるように浪費するとは。p209
「自尊心が過ぎるのはむろん罪だが、謙遜が過ぎるのも往々にして神の御心を踏みにじることになりかねない」p233
彼の威厳とみえるものは、高慢、短気、目下の者にたいする横柄な態度からきているにすぎない。p245
「昨夜、私たちに降りかかった災厄は、要するに物質的な問題でしかない。我々の営みは精神的なものである。我々の勤めは祈りであり、礼拝であり、観想である」p450
『大聖堂』中
神を信ずるというのは座して何もしない、ということには通じない。そうではなく、真心から精一杯の努力をすれば、必ずや道が開ける、と信ずることなのである。p167
近頃では、真夜中から夜明けまでの間が、唯一の読書と思索の時間になっている。日中は、修道院の管理経営の仕事に忙殺されるからである。p173
心の底に諦念に似たものがあるせいか、成功の為に成功を望むのは間違いである。という自戒の気持ちが湧いてくる。要するにこれは、矜恃の問題に過ぎないのではないか。フィリップは自分が矜恃の罪を犯しやすいことを、重々承知している。p174
「大切はことは、かれらを・・・あの人たちを、使用人のように扱わないこと」p178
人はなぜ死者のために祈りたがるのか、彼はそのとき初めて理解した。(中略)トムがあたえてくれたものは、食事や住まいといったありふれたものではない。トムは、かけがえのないものを、他の男ではあたえることのできないものを、実の父でさえあたえることのできなかったものを、ジャックにあたえてくれたのである。それは情熱であり、技能であり、芸術であり、人生そのものであった。p496
歴史は1つの事柄が次へと続いてゆく物語のようなもので、世界は限りない神秘なのではなく、有限の掌握可能なものである、ということだった、p534
『大聖堂』下
「心では奇跡を祈れ、しかし手ではキャベツを植えよ」p12
老人になってから、これまでの人生がすべて虚しかった、と知るのはどんなに恐ろしいことか。p615