用事で実家に来ています。
なんて書いたらいいのか。長いです。
私の育ての親である、おばあちゃんが7/21に亡くなりました。91歳。
幼少期から母が居なかった私の、母代わりをしていてくれました。ずーっと私のお母さんは、おばあちゃんでした。
危ないかも、と話をもらってから、2カ月は頑張ってくれました。
毎週末、帰り、見納めかも、最後かも。と。
元気な頃はよく喧嘩をして。憎たらしい存在だったりして。
でも、気付けば、しまむらに一緒に行ったり。
おばあちゃん、しまむら、だーいすきだった。
行きたがってるのを断わる時も沢山あった。
ごめんね。
おじいちゃんを含め、食事の世話からしもの世話まで、介護してきました。
義母には、若いのに偉いねって言われてきました。
でも、おじいちゃんおばあちゃんの介護することは、当たり前のことだった。私には。
最後の時、呼吸の仕方はこうなるんだ。
とか。
苦しそうだったのが、安らかな感じに切り替わるのがなんだか切なくもあり、よかったと思う自分もいた。
そして、息を引き取ったあとに、父さんが言った。
「おばあちゃんが楽になるんだから、よかったと思わなきゃだめだよ」
「おばあちゃん、もうずーっと寝てていいんだよ〜♪」
そうやって、少し目が開いたままだったおばあちゃんの目を撫でて、目を閉じさせた父さんに、
父さんのおばあちゃんへの想いを感じたんだ。
亡くなってすぐ、誰も涙しなかった。
私も何故が全く泣けなかった。
サヨナラなのに。
みんなには、もう覚悟ができていたんだろう。と言われたけど。
病院で体を隅々綺麗に拭き取るお手伝いをさせてもらえた。
やりますか?ってゆうから
いいんですか?やりたいです!
私がやらなきゃ!と思いました。
ありがとう。っていいながら拭いた。
ちょっと泣きそうになり、看護師がいたから我慢した。
体をふいてあげて、ボサボサの髪を直し、
介護をしてきたけど、最後の締め括りをさせてもらえた気持ちで、
本当に嬉しかったありがたかった。
2日間、仕事を休ませてもらい、土日含めて4連休になった。その間に、火葬まで済ませました。
火葬のときは、歩から涙し、さすがに涙が出ました。
いっぱい怒ってごめんね。
そう伝えたら涙がでました。
火葬が澄んだ日に自宅に帰り、寂しくなりました。
翌日から仕事だったけど、喪主のように、後からさみしくなるもので、やっぱりもう一日休みもらおう。
歩は幼稚園に行かせて、バスで降園させて仕事は休ませてもらい。
気がすむように過ごしました。
その休日がよかったのか、翌日から元気にリセットして仕事に行けました。
そして、1日。
仕事後に実家に用事で帰りました。
叔母さんが来ていて
祭壇にある、おばあちゃんの指輪。
ずーっと身につけていた指輪。
あなたがもらったら?お父さんの許可はもらってるから。と。
私、実は生きてる元気な時から欲しかったもの。
形見にほしいなぁと言ったりしていたけど、
娘がいるんだし。
お世話してきたとはいえ、娘差し置いて私が出しゃばるわけにいかないし。黙ってた。
そしたら、この用事足しの時に
「私なんかより、よっぽどおばあちゃんをお世話してくれたんだし、あなたが…」と言われた時には本当に嬉しかった。
欲しかったの。
デザインどうこうじゃないの。
お母さん代わりの、形見だから。
また、遺影に手をあわせて。
ありがとうした。
最後も看取り、体を綺麗にさせてもらい、欲しかった指輪を形見に頂けた。
こんな有難い話はなく、こんな嬉しいことはない。
ただ…太っちゃって、小指にしかはまらない。

でと、小指でもいい。
これでいつも一緒だ。
これつけて、しまむらに行こう!
遺影に使用した写真ももらった。
有難い。
長いこと、長いこと、育ててくれて、
本当に本当にありがとう。
ありがとうありがとうありがとう。
小さな頃からおばあちゃんの横に立って料理の手伝いもできて、だからこそ今、料理できるんだよね。
沢山のことを、教えてくれてありがとう。
沢山育ててくれてありがとう。
ごめんね、のこともいっぱいあるけど。
ありがとうで終わりにしときます。
私のお母さんはおばあちゃんだよ。
ありがとうありがとう。
さて、
次の私の役目は、
一人ぼっちになる父さんをしつこく構うことだ。
大事な役目!
ながなが読んでくれたアナタ、どうもありがとう。まとまりがなくてごめんなさい。
ps☆
おばあちゃん、カボチャの煮つけが大好きだったな。
白菜のサラダと。
黒豆と。
帰ったら作ろうかなぁ。

