入院中からそうだった。
いや…
もう何十年も前からそうだった。
私にとっては、生と死は常に表裏一体。
それは仕事もプライベートも。
今回ベビーチョコ一粒分の位置の違いで即死…
その現実が、明日生きていられる保証は論外、明日生きていられる自信の様な夢物語すら持たない。
不安は尽きる事なく、ゆっくり時間を掛けて不安を抑えられる様になった頃、また同じ現実が後追いで追い討ちをかける。
結果…
寝れなくなってしまう。
眠剤や身体の疲れで堕ちた時にやっと寝れる。
繰り返し、繰り返し…
躁鬱が支配するのだが、明日が見えないからと言って、身体に気遣いない生活も出来ない。
そこに悲しむ人が増えてしまったから、さらにダメだ…
自分の意思が相反する身体と心。
ちょっと疲れ過ぎ…
ちょっと病み過ぎ…
今回、ある種の自分の余命についても知る事となったのだが、余命=そこまで生きられる保証では無い。
余命はどちらかと言うと、客観的なリミットタイム。
余命を超える事は可能性としてはじゅうぶんある。
だが常識的には余命の枠内で命が尽きるって事だ。
あぁ…死にたいなぁ…
そう思ってしまうのだが、そこは許されないだろう。
生きる為に掛けた時間、そこに携わってくれた人達の時間。
そこを裏切ったら、自分に残された最後の一線も超えてしまう。
気持ちって難しい…
上手く言えない。