またもごぶさたでした。 大木です。
戦後100年のこんにちでも、エライ人たちや、市民レベルまで
この国ではいまだに帝国日本の国家幻想が潜在していること。・・・
先の敗戦の事実を認める度量さえなく、「終戦」とか言ってうやむやにしつつ
敗戦コンプレックスを、勝者のアメリカ羨望コンプレックスにすり替えてしまう
離れ技で、現在まできてしまったこの国。
(参照:アメリカ・コンプレックスからの脱却の失敗。消費という誘惑!)
その裏には 「帝国日本の」潜在意識がいまだに秘されているようだ。
この現在でも、
ふつうの国軍を!と大声するとき、「世界に誇る」という過剰な幻想の形容詞がくっついている。
「帝国」とは、明治維新以後の列強帝国主義にならう植民地支配の狂気のことにほかならない。
この狂気の国家幻想が、明治以来「皇国」思想とくっつき国民の老若男女に骨の髄まで刷り込まれたゆえに、
アジア侵攻をだれも疑うことさえしなかったのだ。・・・
このことに真摯に向き合うエライ人たちもみられないことが
今の日本において、何よりの不幸というほかないだろう。・・・
世界はまったく、
~ 地獄への道は、一見して善意の民の舗装で隠れている!~ と、・・・
ま、軍国日本もよろしいのですが、
骨の髄まで刷り込まれた敵対嫌悪感情が抱えられた脳みそから
バイアスのかかった固執した番犬気取りの感情的発言の吐露はどうなんでしょう?
近視眼的な床屋政談では
世界の鼻つまみ者になり下がるばかりでしょうね。
すこしは、「普遍性」を意識するような理性に沿う言葉で語りかけられる人たちが
この国にもあらわれてほしいものです。・・・