こんにちは
ここ最近急に寒くなり、本来の季節感になってきたなぁ
と思っていたのも束の間、
また少し暖かくなっている今日この頃🍁
寒暖差が何だか激しいので、体調には氣をつけましょうね。
さて、今日は、ひと月ほど前に、
ふと、【闇】という言葉が頭に浮かんだことがあって
その時に感じたことを覚え書きとして残しておこうと思います
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ひと月ほど前のこと。
ふと、【闇】という言葉が頭に浮かんだことがあった。
その【闇】という漢字をイメージの中で見ていると、
奥の方がキラキラしてるように見えて。
何だか、こちらとあちらを繋ぐようなそんな氣持ちになった。
タイムワープみたいな瞬間移動みたいなイメージ。
その時、わたしは、【闇】という漢字、好きだなぁって思った。
光・闇・暗闇
わたしは、【闇】は一種の境界線なのではないかと感じていて。
また、【闇】とは、心静かに己を見つめ、
己の声を聴く空間なのではないかとも思う。
ある意味、光も暗闇も同じ。
うまく説明は出来ないけれど、
振りきった先に(まるで弓矢を目一杯引いて解き放った先に)、
到達する世界観というかなんというか。
分離した状態の表裏一体ではなくて、
まるっと1つの表裏一体というか。
【闇】という境界線(自分軸)があるからこその
本来あるべき姿。
周波数に のまれるのではなく、
周波数と対立する訳でもなく、
凸と凹がうまく調和するイメージ。
先程、【闇は一種の境界線】と書きましたが、
イメージ的にこんな感じです
『音は、門を開いて自分の中に入ってくるのだから、
一種の自分という名の結界の中をゆうにすり抜けて
入ってくるものでもあるのだろうと思う。
音は振動。
すべてのものは振動している。
だから、目で見るものにも、聞く音にも、
五感に触れるものすべてに氣をつけたほうがいいのだろうなとも思う。
この門を、閉じておく必要のあるときに閉じておくことも
自分を大切にすることに繋がるようにも思う。
(本来の闇という漢字の本当の意味は知りません。) 』
個人的に先日アップしたブログ
【丙寅の日。。。と天中殺月間。】という記事で
耳が敏感になったことから、
上記のように思ったのかもしれません。
先日書いたブログはこちら。
境界線が薄いわたし。
肝に命じるために書いて残しておくことにした、
今日のブログなのでした💡
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そうそう。
人が発する言葉で、同じ言葉であっても、すんなり受け取れる言葉と、
違和感を感じる言葉がある。
多分、本来の文字の意味に、個々の想念がのっかってるんだと、
わたしは勝手に思っている。
ある意味、書物でも同じだなぁと感じている。
書物は書いた人本人そのものな氣がしていて。
そこに、その本を手にとって読んだ人の数だけ、その同じ本に、
色んな想いがのっかっていくイメージ。
わたしは、昔、図○館で働いていたのですけど、
その時のエネルギー消費量が半端なくて、
体重がめちゃめちゃ減りまして、
このままじゃ、私自身がヤバイな。と思って辞めたことがあります。
わたしにとっては、肉体をもってのかなり貴重な体験でしたが、
膨大な集合意識の中に(一つの本を一つの集合意識とすると
図○館じゃ膨大な数になるわけで。)身をおくことが、
わたしにとってはとても危険なことに感じられました。
(本屋さんは、たくさんの方が、
手に取ってない(新品)なので、しんどさは雲泥の差です。)
昔、体験した小話も少し書いてみました。
(全ての人にとって、そうではないかもしれないけど、
わたしにとってはとても大事なこと。
それを体験の中から學んだ貴重な体験。
わたしの体験が、どなたかの、もしかして原因はこれかも
という発見になれば幸いです。
ただ、対処方法までは、分かりません。(すみません)
誰かにとっての対処法がドンピシャで自分の肉体に合うとも限らない。
わたしは自分で見つけるしかないと感じています。
わたしも日々模索の毎日です。)
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今日もこうして目を通してくださった皆さん、
ありがとうございます