皆さん、こんにちは twinklestar☆です。
今日は前回の続きで「祖母の看取り2」について
書いていこうと思います。
.。.:*・☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆
祖母の看取りはお家ですることになり、祖母の体調のいい時を見計らって
自宅に帰ることになりました
祖母はお家に帰ってくるときは、酸素ボンベをつけていましたし、
体の体液循環が滞りがちになっていたので、
腕の皮膚の下に体液が見えるような状態になっていました。
ちょっとでも皮膚に穴があくと(本人痛くはないみたいだけど)
滞って溜まっている体液が漏れてくるので
常に水分を通さないシートを腕に巻いていました。
本人は、見た目に比べてそれほどしんどくなかったようです。
薬の時間、ご飯の時間、水分補給の時間以外はずっと眠っていました。
これくらい体力のなくなった人の体はとてつもなく重く、排泄の処理の時が
一番大変だったのを覚えています。
祖母が帰宅したとき、私は、祖母の声のトーンがワントーン高くなったように
感じていました
あー、今生での祖母の学びはちゃんと達成されたんだな
達成して今生はあちらの世界に還るんだなと嬉しくなりました。
それと同時に、あちらに還る準備が始まっているのだと
少し寂しくも思いました。
毎日、トロミのついた美味しいゼリーで上手に薬も飲んでくれて、
祖母の大好きな蜂蜜入りのココアや、蜂蜜入りのミルクコーヒーを作ったら
「スッとする」「おいちい
」といって飲んでくれる。
そんなにたくさんは食べれないけど、
食べたいと思う分だけご飯も食べてくれる
そんなに食べれないときは祖母のお気に入りの
【エ○ジョイゼリー(コーヒー味)】や【エ○ジョイゼリー(りんご味)】、
【メイバ○ンス(バナナ味)】や【メイバ○ンス(コーヒー味)】を
「あ~、スッとするおいちいわ~
」といって飲んでくれたり食べてくれました。
入院する前は暖かいモノが好きだった祖母でしたが、
家に帰ってきてからは、暖かいモノも飲みましたが、
冷たい飲み物も喉がスッとして気持ちいいようで
冷たい飲み物も飲むようになっていました。
祖母がお家に帰ってきたからの時間は、
私も母も入院前とは違う、なんとも穏やかな時間に感じられました
そんな中、私は1つ、気になっていたことがありました。
それは、私が、祖母にずっと謝りたかったことです。
今までは、そのことに対して祖母はすごく腹が立っていたようで
「一生忘れん!」と言われていました
けど、きっと今の祖母の状態ならきっと許せる状態になっているだろうと
感じていたので意を決して伝えてみることにしました。
その出来事は、祖父が入院中の時におこりました。
祖父は酸素濃度が低くなっていたので切開していました。
そんな状態だったから、食事はおろか一切のお水も飲むことが出来ませんでした。
けれど、祖母はそんな祖父の前で、ドリンクを飲もうとしたのです
(マジか
)
祖父はご飯を食べれなくなってから、手を伸ばし、口に持って行く仕草をして
「桃の缶詰・・・」「ミカンの缶詰・・・」「アイスクリーム・・・」と言っていました。
(↑これは切開する前の話です)
そんな祖父の姿を見ていたので、私は祖母のとろうとした行動が信じられず
激怒してしまいました
祖母が祖父の傍で喉をならして、飲み物を飲むことが理解できなかったからです。
その行為について怒った時もそうですが、その後も何度か
「一生忘れん」と言われていました。
その時は、理由を伝えても、そんなんしらんみたいな感じになるので
触れていませんでした。
祖母に
「お爺ちゃんの看病をしてた時、お婆ちゃんがお爺ちゃんの傍で
ドリンク飲もうとしたことあるやろ私、その時、めっちゃ怒ったやんか。
お婆ちゃんも80後半でお爺ちゃんの看病で体だいぶしんどかったのに
酷いこといってごめんやったで。。。
けどな、ご飯も飲み物も食べられへんお爺ちゃんの傍で、
ドリンクの蓋をあげる音やドリンクを一気飲みする音が、
お爺ちゃんの耳に聞こえることがどうしてもて耐えられへんかったんや。。。
ごめんやで」と伝えたら・・・
「いいよおたがいさま
」という言葉を返してくれました
お婆ちゃんの事を抱きしめながら、
お婆ちゃんも看病疲れで体しんどかったのに堪忍。。。
と一緒に涙しながらニコニコした一時でした
「その後、twinklestar☆ちゃんのこと大好き」といってくれたり、
上がらない手で頭を撫でてくれたりもしました
介護は本当に大変だけど、お家でお世話出来て良かったです。
さて、祖母があちらの世界に還る日は突然やってきました。
亡くなった日の午前中は訪問看護の日で、
お薬も上手に飲んで、朝ご飯も「おいちい」と言いながら
いつものように食べていました。
そして、その日はお爺ちゃんの命日で、
午前中はお坊さんがお参りにきてくださっていました
その日の午後、祖母は痰が絡まるような感じで、
自宅で私も母も吸引器を使って試行錯誤していました
その日はうまく吸引することが出来なくて、
何度もしたら祖母に負担がかかると思い、
訪問看護さんに時間外にきてもらうことになりました。
訪問看護さんが来てくださって一端痰をとってくださいましたが、
「ほとんどたまってないと思いますよ。」と。
「舌が後ろにさがってきているので、身内の方に連絡してあげてください。」
と言われました。
突然のことにアタフタしながらも、後々後悔しないように
母の姉妹と私の姉弟にも連絡し、テレビ電話をして
祖母の最期をみんなで見送ることが出来ました
祖母は苦しむことなく、みんなに見守られながら、すぅーと息を引き取りました。
とってもとっても穏やかな最期でした
後からその日に訪問看護に来てくださった看護師さんの話によると、
「お坊さんが来てはったとき、ムニャムニャ言ってはったので、
お爺ちゃんとおしゃべりしてるのかな」と思ってましたと。
祖父も、「もう痛いのはいいから、こっちに来るか?よぅ、頑張ったで」と
お迎えにきてくれたのだろうねと、母と私は話しました。
生前から、本当に仲良しの祖父母でしたが、まさか同じ命日になるとは
思いもしませんでしたし、享年が同じ歳になるとも思ってもみませんでした。
ただ、以前のブログにも書いているのですが、
祖父があちらの世界に還ってから
祖母の周りで祖父からのたくさんのメッセージがあったので、
こうなっても不思議じゃないしホントに仲良し夫婦やわ
と
お爺ちゃんとお婆ちゃんのラブラブっぷりに、突っ込みをいれてしまいました(笑)
祖母の介護では、本当に衝撃的な色んな事がありましたが、
最期はとても静かで穏やか時間となりました
.。.:*・☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆
私は、祖母の介護の中で
私の体と祖母の体がリンクしたと感じた瞬間
薬の副作用の恐ろしさ
私の観察力とふと感じること
人の体の再生力
体の中では菌同士も細胞同士も仲良くしている
寿命がある間はどんな状態でも生かされるのだな
自分がなんとかしてあげたいと思っても
本人に学びのある限りは必ず同じ事が起こるし、それはとめられない
そんな色んな事を学びました。
色んな考え方もあるかと思いますが、
この人はこんな風な感じ方をする人なのねと
思っていただけますとありがたいです。
また、順次、そんな色んな事を書いていきたいと思っています。
.。.:*・☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆.。:*・゜☆
今日は、いつも以上に長い文章になってしまいましたが、
お読みくださった皆様、本当にありがとうございました