中古車に感謝

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1973年の第一次石油ショックを機に、燃費のよい小型車を得意とする日本車は、
世界市場で受け入れられた。

特に、それまでガソリンをがぶ飲みする大型車主体だった米国では、品質、
価格競争力で米メーカーを圧倒した。

80年の米国向け輸出は240万台(トラック含む)と、70年の42万台から約6倍に増えた。
米メーカーからは「集中豪雨的輸出」「失業の輸出」と悲鳴があがり、日米政府は
81年度から日本側が乗用車の対米輸出台数に上限を設ける自主規制で合意した。

当初は年間168万台、3年間という合意だったが、延長を重ね93年度まで続けられた。
いびつな管理貿易であったが、皮肉にも日本メーカーには、たわわな果実をもたらした。