集中することの幸福 | アラフォーからの開運デビュー

アラフォーからの開運デビュー

アラフォーからが、いよいよ自分のために生きることを許可できる新たな人生のステージの始まり☆
自分じゃない自分で手にいれた幸せなんて1ミリもいらない♡今日からあなたの夢を宇宙に表明して、現実創造を楽しみましょう。

この世界は調和と進化のバランスで成り立っている。

 
社会的動物でもある人間は
どちらか一方だけではよろしくない。
 
私はどちらも苦手だけれど、
消去法で、調和? ・・・かな。
 
進歩 =成果を求められる
という概念が染み付いていて、
結果を気にするあまり
(自分が自分に勝手に負荷をかけているだけだけれど)
 
そうやって物事に取り組むことを無意識にすごく嫌った。
 
昨日、たまたまこんな動画が目に飛び込んできた。
 
「もし、お金が存在しなかったら、君は何がしたい?」
「何をして君は人生を楽しみたい?」
 
そう問われて、はたと我に還った。
 
そして、好きなことに夢中になって
周りのことなど気にせず
夕方まで遊んでいた幼かった頃を思い出した。
 
遊びって、強制されずとも
夢中になって、時間が経つのを忘れてしまう。
 
没入する
まさに幸福そのもの。
 
それが大人になると、生きるために仕事をしなくてはいけない。
そのためにお金を得て、食い扶持を生み出さなくては・・・。
 
それが生きることでもあるし、働くことそのものが
生かしてもらっている見えない世界への恩返し。
的な感覚で、私にとって楽しむことはご法度であった。
 
そう、何か罰を受けて働かされてる?ような意識が
何処かに紛れもなく存在していた。
 
そこに、
「もし、お金が存在しなかったら何がしたい?」
と問われて、真剣に考えてみた。
 
お金が存在しない状態。
もうこれだけで、自由を味わうには充分な定義だ。
 
もしその自由が担保されていたとしたら
 
きっと やりたいことをやるだろう。
楽しくなることをするだろう。
 
しかしその楽しさという幸福の中には
和やかさや仲良しクラブの集いのような
和気あいあいとした感覚。
 
というよりも
そのものの中に入り もっと研ぎ澄まされた
透明で 時間もない世界
 
幸福感すら渦中にいるときはその自覚がない。
 
「楽しいことをしよう。
ワクワクを感じよう」
というフレーズを目にすることがよくある。
 
しかしその実態は
刃物のように鋭利で厳しい世界
 
の中にこそ楽しさがあるような気がするし
 
それが結果として「進化」につながるとしたら
まんざら進化も毛嫌いするどころか
単純に楽しいことしよう
で済む話なのかもしれない。
 
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