日付:2025/4/20(日)
時刻:am:10:30
曲目:リリースリチャージ(GW Ⅰ)
目的:まだ気にしているあの件について
こんなはずではなかった。
と、ずっと思っている。
私が中学1年の時に、母(当時39歳)が脳梗塞になり、障害者になった。
その出来事から人生が大きく変わった。
もう30年前の話なので、手放さなければいけないと思いつつ
何かと引っ掛かりがある。
ヘミシンク聞いたのが家族も起きている真昼間なので、
息子がちょっかい出しに来る中、
(乗り掛かってきたりぬいぐるみ乗っけてきたり)
知らんぷりして実行するいう状態でやっているので
準備のプロセスなんか怪しいものだが。
⚪︎1回目
<恐怖>
12歳(中一だけど早生まれなので)の時
母の病気発症後
これからどうなるのだろう、という恐怖。
<感情>
もっと母に自分を見て欲しかった。
母は、病気以来、私のことは忘れたかのように
自分のことを嘆くことばかり。
<記憶>
よくわからんけど、金の泡を吸収
⚪︎2回目
<恐怖>
学校へ行くこと、学校へ行きたくない
<感情>
不登校をやりたかった。(逃げ場所が欲しかった)
事情が許せば不登校になっていたと思う。
家に障害者の母がいて、不登校という手段をとりたくてもとれなかった。
<記憶>
そこから17年後の、母の葬儀の場面に飛ぶ。
となりのおばちゃんが焼香の後
私たちのところへ駆け寄ってきて
「がんばるんだよ」とはげましてくれた。
当時29歳といういい大人だったが、
おばちゃんにとってはまだ子供にみえたのだろう。
ありがたかった。
(でも恐怖からと関係ないな?)
⚪︎3回目
<恐怖>
母の死
<感情>
母を不幸のまま死なせてしまった
<記憶>
よくわからんけど金の泡
----------------
私は24時間テレビとか、
その他偽善に敏感で、大嫌いである。
母は強い障害者ではなかった。
毎日のように「わたしはこうなってしまった。はぁ・・・」
といってため息をついた。ため息どころか
良心的でない宗教の金を注ぎ込んだり
統合失調症になって、父のPCのメールをアメリカの陰謀と結びつけたりして
色々と翻弄されてきた。
中学生くらいの子供に対して、母親が本来すべきことって何か
私は自分の息子が中学生になるまでわからないと思うけど
中学生は確かに幼児に比べれば自分のことはできる。
だけど勉強はどうか
学友とはどうかと
部活ではどうか
どこの学校へ行きたいのか
と誰からも関心を持たれず
弁当が必要な時は自分で何とかして
というのはまあまあハードルの高い課題ではなかろうか。
できる子もいるかもしれないけど。
母親が健康だったら
もっと勉強する時間が取れた、自分のことに集中できた
人間不信にならなかった、安心もできた、もっといい学校へ行けた
自己肯定感も低くならなかったはずだし、友達ももっとできたはず
みたいなことを考えてしまうことが多かったのだが。
結局のところ、過保護にされて
私の意思はさておき先回りして色々やってしまう母の元で
精神が幼稚なまま中学生になって
突然突き放されて、自立し損ねただけだ。
どこかで自立を学ぶ必要があったのに
あまりのギャップに
起こる出来事を処理しきれなくなって
何も感じない人
になるのが精一杯の対処だった。
と、子育てをしていて気がついたんすよね。
息子が何でも母である私がいないと嫌がる、
もうできるはずのことをやってもらいたいというのも
私が手を出しすぎていたのかもしれない。
とはいえちょっと厳しくしたところで
息子は甘えてごねる。
それをこっちも断固として突き放す、ということをする。
結構なパワーがいることで、
息子の言いなりになって折れた方が楽ではあるが
どんなにごねられても折れてはいけない。
私にはそのタイミングが母の病気だったのだろう。
多分、今の自分なら色んなことに対処できたと思う。
ついでに夫の気持ちもなんとなくわかってきた。
自分は大して子供のことをやらないくせに
時々私のことを「子供を甘やかしている」って罵ってきて
まじムカつくと思っていたのだけど
ああそうか、2対1になっているので夫は寂しいのだな。
と思った。
子供が夫では嫌というのを
はっきり言うので傷ついているのだろうなと。
やろうとしても息子に拒否され
妻からは「あなたは子育てから逃げている」と言われるのだから
ちょっと気の毒に見えてきた。
それを私が甘やかした結果癒着を起こしているせいだと
彼の目には見えているのだろうなと思った。
最近眠くて仕方ない。寝ても寝ても眠い。
