日付:2024/8/9
時刻:am3:33
曲目:イントゥ・ザ・ライト1再会
目的:お盆近くだから

 

というか中途覚醒以降、眠れなかったからですな。

息子の寝小便の片付けやって体が覚醒してしまったのもあるし、カフェインに弱いのに緑茶を夜飲んだからかもしれない。

 

導入部分の、非物質の体を左右に揺らすところで

なんとなく体でないものを揺らすことができた気がする?

 

最初に来る「誰か」はシルクハットの片眼鏡のおじさんではないかと。

八十日間世界一周(ジュール・ヴェルヌ)のフィリアス・フォッグ氏。

 

話は逸れるけれど

ストーリーとしてヴェルヌの作品は大好きなのだが

どうも「欧州白人男性の思い上がり上から目線」を文の端々に感じるんだよな、ヴェルヌは。話としては好きなのに、ヴィクトール・ユゴー先生やチャールズ・ディケンズを超えない(私の中の好き度)のはそういうところだ。

 

話をもどして。

光の一点が大きくなってトンネルになるよという誘導があり。

星空が綺麗だなあと思うような光景を思っていた。

トンネルの先だったか、どこだったか

強い光がまたあって

私はホタテを思い浮かべた。(ホタテか??)

ボッティチェルリのヴィーナスみたいな感じで

ホタテから光が出ており、ヴィーナスみたいな人がいる。

 

引用元

 

 

うん、ホタテだろうな。

 

ナレーションは光が消えて花の草原へ誘導。

 

マリーゴールドとガーベラかな。

 

林があるって言うんで

林を思い浮かべる。

どんな林か。

木道があって、漫画みたいに木が規則正しく等間隔に並んでいる林。

 

複数の人がいるんだと言うナレーションで

母と母方の祖母がまず思い浮かんだ。

生前右半身麻痺であった母は、健康体のイメージ。

 

歓迎のピクニック。

(いつもこの言葉が引っかかる。ピクニックってことば、日常で使うか?

改めて考えると、「ピクニック」がなんなのか今ひとつぼんやりしてわからない。野原で弁当食えばいいの?)

 

ナレーションに互いに話しろやって言われ放置プレイ(フリーフロー)になる。

 

言葉に置き換えることがそもそも私の引っかかるポイントになるので

あんまり言葉にしない。

 

母は、大人になった私と対等に話したかったんじゃないかと思う。

とにかく悔いといえば

もう少しマッサージと耳掃除をしてあげたらよかったなと思っていた。

今ならスマホと繋ぐカメラがあるしミミセラ(耳垢をやわらかくする液体)とか使えばもっとうまくできたな。

母の耳きったなかったんだよな。

アメ耳なのに、カッチカチに固まってしまって。

マッサージはすると喜ばれたが。

そこまで母に構ってばかりいられないというのもあって

葛藤があった。

 

もっとしてあげたらよかったと思うことが、母にはたくさんあった。

父にはないが。

父にはただ感謝をするべきだったと。何かをされて喜ぶ人ではなかったから。

 

どうも母に人生を壊されたように思っていたが

しかし

だれも私の犠牲なんて望んでなかった。

私が自分で「自分のことを優先してはいけない」のようなことを思ってただけだ。

 

ダンス仲間に再会したいなと思ってきた。

母が死んだ後にダンスをやる気がなくなってしまったのだ。

こんなことして何になるとしか思えなくて。

いまや家庭持ちで、あんなふうにはできないが。

仲間と意図的に連絡をたったのは

結局自分を哀れむ被害者意識みたいなものが

人と対等に接することができない壁みたいなものをつくったような

ということを思い出しており

 

ナレーションがまたやってきて

このなかから教師がやってきて戻る時間ですと言うって言う。

教師っていわれてもな。

冒頭のシルクハットの人か、3部のジョナサン・ジョースターかなとおもった。

3部のジョナサンはショーン・コネリーに似ている。