日付:2024/5/12
時刻:am4:30
曲目:ゲートウェイ7 Messages From Beyond 
目的:なんかメッセージください的な

 

向こうからのメッセージ

という訳になる。

 

助走の時間もフリータイムも十分でやりやすい音源なので選んだ。

 

ナレーターが私の手をとるというので

そのようにイメージしてみる。

パズーとシータが飛行石でふわふわしている感じで、上昇していく。

 

あなたの愛する人がそこにいます

といわれて

父と母の幽霊を感じて怖いと思ってしまった

(あいたかったんじゃないのかね)

 

メッセージをもらいましょう、といわれても

そういうのはできないので

父の生涯、母の生涯はどうであったか

自分は彼らといた時にどうであったかを思い出して

今の冷静な大人としてどうなのか

親になった今の目で見て彼らはどうなのか

そんなことを考えた。

 

元々私が思っていた父は

「横暴で感情がなく、自己中心的」

今回思ったことは

人に尽くしすぎていたという印象。

誰かの世話という種があって、自分の能力を示すことができる。

自分発でそれをしなかった。

自分の能力を発揮するために「できないひと、不器用な人」を必要とした。

 

母に対しては

私はいつも母の要求に応えなければいけないと思っていた。

母は誰にどれだけしてもらっても

相手のことを不十分だと思う人だった。

私は先回りして色々母のして欲しいことをしようとするのだけど

結局何をして欲しいのかわからない。

できないことだらけで態度のでかい母と

何かをしなくてはと思って色々するのに無価値観しかない自分。

人の要求にどこまで応えていると

自分が自分に対して不誠実と感じるか?

そのラインはどこか?

というのを学んでいたのだろうか。

 

もう一度メッセージを受け取りましょう

というナレーションが入る。

 

父はよく私たちを殴った。

時には朝起きて私の顔が気に入らないというのもあった。

他は、反論する時。

危ないのでとにかく近寄らない話をしない目を合わせないようにしていた。

 

そこで「殴る」「暴力」の意味に考えをめぐらせた。

私は誰のことも殴らないと決めている。

合っていようが間違っていようが、言い分を言わせないということは絶対にない。

まあ、もう話しても仕方ねえやとおもって絶好した人もいるけど。

力の差があるので子供に対しては当然殴らない。

フェアではないから。

(東京都だと親の体罰が条例違反とかあるがそういう問題ではない)

息子は癇癪を起こして私を殴るのだが。

殴り返しはしない。

暴力で解決しないのならどうするか。

やめてと言っても痛いと言ってもやめてくれるものではない。

反射的にしている。

とにかく「殴る蹴る」「叫ぶ」「泣く」を始めたら

話し合いはしないと言って

離れるということを試みている。

そうすると不思議と下手に出てくる。

落ち着こうと努力するのが見えたりする。

息子は自分の正しさを主張したいので、話をしないと言われると困るのだろうか。

 

親の選択として、こどものわがままに対して

「こどもの脅しに屈する」

「力の差をみせつけて制圧する」

の二択しかないってのは、間違っている。

私は親よりうまくやれているではないか。

 

最近日本の古代史が好きでよく本を読んでいるのだけど

youtubeもそれ関連のみたりして。

うちらの世代が教わった歴史ってなんだったのだよ。

時間と暗記の努力を返せ。

縄文より弥生が優れていたという考えのもとに歴史を見てはいけないらしい。

遺跡が出てくるとひっくり返るのだから

暗記じゃなくて

「手がかりはこれとこれなので、こっちの文献と合わせて考えると

いま仮説はこのようになる」

という考え方を教えるべきじゃない?

じゃあ自分の親世代が学んできたものはもっと間違っていそうだよな。

絶対変なのあるよ。

 

両親とちゃんと和解するために

仲良くなろう。お供え的なものをしよう。

父は和菓子で、母は私が作るものはなんでも

 

逆にメッセージをてめえから伝えろといわれるので

理解できるように努める

といっておく。

 

またパズーとシータごっこで下に降りていっておわり。