下記の内容はヘミシンク中の体験ではない。

だがちょっと考えたくて書いた。

 

記憶と伝聞なので、間違いがあるかもしれない。

 

母は生きていればもうじき69歳だ。

だんだん数えられなくなってくる。

私自身のために、母との関係を、再構築しなければならないと思う。

 

母は、今では人口2000人を割るような

とある村で生まれた。

市町村合併が各地で行われる現在でも「村」の形を保っている。

ざっくり「農家」と聞いたが、私が訪ねた限りにおいては

何の農業かわからなかった。

祖父母や親類が農作業をしている姿を見たことがないので。

 

地元の中学を出ると、次の進路は全寮制の看護学校(兼高校)だった模様。

そこで准看護師の資格を得て、地元で働いたのち

上京する。上京して正看護師の資格を取って働く。

 

上京する、とは千葉・埼玉も含むんだぜ。

埼玉埼玉。

 

私は母が看護師だったのは自慢だったのだけど

母は「お金のために働いている」としか言わなかった。

だからか、その職業に私自身があこがれたことは一度もない。

 

母が亡くなったとき、伯父からはじめて聞いたことがあった。

それは「家族に医療従事者になるように強要された」ということだった。

12歳上の伯父も説得したと聞いた。

昔の制度なのか知らんけど、身内に医療従事者がいると

家族の診療費がタダになるとか

そういうのがあったようなことを聞いた。

母は、説得されて素直に従ったのではく

逃げた

と伯父には聞いた。

相当嫌だったんだって。

 

記憶にある限り、私は母に何かを強要されたことがない。

母は下品だがいつも優しかった。

殴られたことも言葉の暴力も、うけたことがない。

過保護だったかもしれないけれど。

私の代わりに何かをやってしまうようなところはあった。

私を守ろうとして、学校にクレームいれて大事になったりもあったな。

 

下品、について。

私は芸能ニュース、TVドラマ、他人の個人的な事情、悪口についてを

話題にすることを下品だと思っている。

こういう側面が嫌いだった。

あと、看護師はかっこいいなとおもってたけどその他は全く教養というものがなかった。知的な思考をしているところをみたことがない。

政治家を顔と喋り方で判断するタイプ。

制度や歴史なんぞ調べてみたこともないのだろうな。

 

足音が嫌いだったな。

あと要求が多い。

 

車椅子になってから本当にかわいそうだったかというと

自分が世話されて当然

という遠慮のない

それなりにでかい態度だった。

 

父は私ら子どもよりも母が優先だった。

 

葬式は、明るくて楽しかった。

家族葬向けの会場で、戸建て住宅風で洒落ていた。

親戚もたくさん集まって。母の友達も大勢きてくれたね。

音楽がずっとノラ・ジョーンズだった。

火葬場へ行く車はリムジンで、それも家族みんな乗れた。

賑やかだったし、いい葬式だったなと思う。

 

ちなみになんで死んだのかというと、

よくわからないんだよね。

お年寄りが、骨折をきっかけに長期入院して

なぜか体調を崩して亡くなる例ってあると思うんだが

あれと同じ。

闘病で体がボロボロだったんだろうなという感じ。

入院なんてしょっちゅうだったので、

理由も風邪(多分肺炎おこして)だったという

まさかそのとき死ぬとはみんな思わなかった。

だから死に目にもあってない。

一人暮らしをはじめてたから、夜中呼ばれても間に合わなかった。

 

 

振り返ってみれば不幸な面だけではなかったな。

先日のブログでは「かわいそうという認識が取れない」

といったけれど

これ書いてて

「なんだ、結構人に囲まれて、人を振り回して、マイペースに生きていたんじゃないか。」

と思った。

大変だっただろうけど不幸じゃねえな。

 

そろそろヘミシンクで「会う」ができないもんかな。