職場で嫌いなおっさんがいた。これをAさんとする。

おしゃべりで、声がデカくて、一方的に話す。

視界に入るだけで嫌いだなと思っていたんだが。

 

もともとあんまり分野が違うので関わりが薄かった。

先日助手がいるとのことで、ちょっと手伝いに行ったのだけど

そのときにした会話で印象が180度変わってしまった。

 

「自分で稼いだ金を自分のためだけに使い

それなりの地位を得るとロクな人間にならない。こいつのように」

と勝手に判断して嫌いだったのだが。

 

ひとまわり年上のそいつは

ずっと独り身だと言っていた。

妻帯者が偉いなどとは思っちゃいないが、

やはり身近に「鏡」がない人間は偏る。

結婚しなくとも、仕事10割の人間は偏る。

それは事実だろうとおもうが。

 

私はその人のことを「自分が正しいと言う場面ばかり見ている人間」だと思い込んでいた。

 

何気ない会話でわかったのは、そいつは戸籍上独り身、というのは本当のことだけど、元家族を一生懸命養っているということ。

なんだか色々なことを一方的に決めつけ、心の中で攻撃していた自分が恥ずかしくなった。

事情を知らなかったとはいえ。

おっさんが、そう言うことを表に出して言わなかったところに美しさを感じてしまった。

 

そのおっさんだけじゃなくて、みんな色々口に出さない事情があったりするんだろうけど。私はいろんな人のことを「こいつはこういうやつだろう。だからこうなんだろう」と決めつけてきた。決めつけてもうしわけない。いろんな人のことを勝手に攻撃してもうしわけない。

 

自動的にそういうものを発動していることに気がついて止めていきたい。

 

今となってはAさんの声は聞こえてくるだけでも、好ましい感じがするんだよな。

 

 

もうひとり、Bさんの話も書いて良いすかね。

この人はべつに嫌いじゃなかったけど。

ちょっと「人情の機微に欠ける鈍感なやつ」とジャッジしていた。

おなじくひとまわり年上の別のおっさん。

 

仕事で一緒になってちょっと一緒に待機していたんだが。

とある店先にに人が倒れていた(軽傷と見られるけど)ので、店の人に行って救急車呼んでもらったりした事象があった。

そのときの、倒れていた人に対する声の掛け方で、Bさんは本質的に優しい人間だと気がついた。

あと看護のために義理のおとうさんと一時同居していたとかの話をきいた。

Bさんは本質的に優しい人なんだ。

と印象が変わった。

 

どんだけ人のことジャッジして決めつけてたんだろうか。

傲慢なのは誰なんだろうかって話だよな。