わたし=私
個人⇔社会、自分⇔他人、自由⇔制限




今回は
とある人の話の中から
ずっとあったモヤっと仮説が
パッキリ確信に変わったと言う話


私的なスピリチュアル視点での対冲
反対側の私
気づかない部分をみせつけてくる人



推命的対冲とは真逆にいる星

例えば
帝旺⇔胎


ホロスコープで言うなら180度の関係




対冲とは隠された
もう一人の自分だった




思考のクセが惑わされやすいのは
この辺が関係してる気がします
まやかしの
対冲トラップ
(最初、冲(ちゅう)を「おき」って読んでた)



結局、迷って考えたとしても
落ち着く先はここですかね

自然か、不自然か

ローランドみたいに言う


反対側の人は
自分のシャドー
ここが拗れるとアンチテーゼになりやすい
現実転写もされやすい
なんてのよく言ったものだ



じぶんの中にある
陽=陰
どっちもある私の要素



思考の罠に陥いると
いそいそ顔をだしてくる存在が
陰極のわたし
イラつく人、ダメージを与えてくる人
突きつけてくる人、見せつけて煽ってくる人
嫌いな要素がある人、ザワつく人
軽いホラーですよ、まったく


懐かしい


でもね、その人は私に
いろんな事教えてくれてるんですよね
優しい悪魔
恥部を見せられてる気分になる



対冲はいわゆる
願望実現への道標
今なら必要だと解りますが
最中は苦しいもので


199さん(5記事)2008/8〜リンクbe-okay.net最近実践中の199氏のアファメーション