わたし=私
個人⇔社会、自分⇔他人、自由⇔制限
今回は
とある人の話の中から
ずっとあったモヤっと仮説が
パッキリ確信に変わったと言う話
私的なスピリチュアル視点での対冲は
反対側の私
気づかない部分をみせつけてくる人
推命的対冲とは真逆にいる星
例えば
帝旺⇔胎
ホロスコープで言うなら180度の関係
対冲とは隠された
もう一人の自分だった
思考のクセが惑わされやすいのは
この辺が関係してる気がします
まやかしの
対冲トラップ
(最初、冲(ちゅう)を「おき」って読んでた)
結局、迷って考えたとしても
落ち着く先はここですかね
↓
自然か、不自然か
↑
ローランドみたいに言う
反対側の人は
自分のシャドー
ここが拗れるとアンチテーゼになりやすい
現実転写もされやすい
鏡なんてのよく言ったものだ
じぶんの中にある
陽=陰
どっちもある私の要素
思考の罠に陥いると
いそいそ顔をだしてくる存在が
陰極のわたし
イラつく人、ダメージを与えてくる人
突きつけてくる人、見せつけて煽ってくる人
嫌いな要素がある人、ザワつく人
軽いホラーですよ、まったく
懐かしい
でもね、その人は私に
いろんな事教えてくれてるんですよね
優しい悪魔
恥部を見せられてる気分になる
対冲はいわゆる
願望実現への道標
今なら必要だと解りますが
最中は苦しいもので
最近実践中の199氏のアファメーション
↑