「『あと5年だな・・・』の声が聞こえる」 Ⅲ 自らの判断と行動の基準をしっかりと持つ② | いつでも5年間のLast Run

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何人かの先輩諸氏が「最後の60歳までの5年間はあっというまだぞ」と言っていた。「ならば、今こそなのだろう」後進のために、伝えるべきものを伝え、残すべきものを残してゆこう。と思ったのです。
それが「5年間のラスト・ラン」を思いい立ったきっかけでした。

 

2.一回限りの人生を本当の自分を輝かしだして生きる

 

「二度とない人生をどのように生きたら、本当にこの世に生まれて来た甲斐があるのか」

 

 

5年間のラストランを思い立った当時、私は業務監査室という本社や店舗の業務を監査指導する部門の責任者でした。ですので、すべての部門に関われる立場だったということです。

 

そこで私は、権限を越えたことなのかどうかという微妙な問題はあるにしても、すべての部門の人に伝えるべきものを伝え、残すべきものを残して行けると考えたわけです。

 

この権限ということと、組織によくある慢性的問題や課題との関連を考えてみると、そういう問題や課題は大概はそれぞれの組織の権限の外側と外側の狭間にあることが多いといえます。そうすると、だいたいの組織は、その問題には気づいていても、めんどうだからそれは我々の仕事ではないということで、自主的にはかかわらないようにしておこうとなるわけです。

 

あるいは、本当は自分たちの権限の範囲で解決すべき問題なのですが、自分たちはちゃんとやっているのだから、この問題は関連している他の部署が何とかすべき問題だと言ったりするわけです。そして、問題は解決されないで放置されたままとなるのです。

 

私は、多くの組織の中の多くの人たちは、組織や上司が自分にしてくれること、あるいは自分の持つべき権限を気にしすぎるために、本当の成果をあげられないでいると考えております。

 

かくて、そう考えていた私は業務監査室長だったこともあり、その権限の狭間みたいなものに踏み込むことに積極的だったということです。

 

 

さらに、そんな私がラストランを思い立ったもっと根っこの部分を言えば、それは、先に触れた「天命」「宿命」「運命」の考え方と相まった、「一回限りの人生をいかに自分らしく生きるか」という強い思いでした。「二度とない人生をどのように生きたら、本当にこの世に生まれて来た甲斐があるのか」という思いです。

 

 

実は私は、51歳の時に鬱になった経験があります。そして5か月間会社を休みました。その5か月間は我が家の自分の部屋の中で、毎日一日中ボーッとして、流れる雲を見ている他はほとんど何もできませんでした。

 

それでも、5か月ほどしてようやく出勤できるようになり、それからほぼ一年をかけて精神がどんどん回復してきて、気がついてみれば、鬱になる前よりも遥かに自立的な人間になっておりました。

 

ですから私は、鬱になってかえって良かったというか、むしろ本当に良かったと思っています。しかし、もちろんそれは今思えばこその思いです。

 

 

そんな私は、若いころから色々と失敗や間違いはしてきましたが、それでもそれなりの成果もあげてきたつもりです。

 

かくて私は、40代の半ばごろから、周りの人たち、特に上の方の立場の人たちを色々と見てきて、その一部の人に対し、何でそこまでして保身に回ったり、あるいは偉くなりたいと思うのか、あるいは地位を嵩にかけ、いわゆるパワハラ的に部下の人格を無視するように扱ったりするのか、と思うようにもなっておりました。

 

私は、組織の中の人間の値打ちは、その人がどんな職位や立場にあったのかということよりも、その立場をどういう思いと行動で担っていたのかにあるのだと思っています。そして人の記憶に残るのもそういうことなのだとも思っております。

 

今回はここまでです。

 

続きは次の更新ブログで・・・。

 

 

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