変化してゆくものと変わらない何か。真摯さについて(再) | いつでも5年間のLast Run

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何人かの先輩諸氏が「最後の60歳までの5年間はあっというまだぞ」と言っていた。「ならば、今こそなのだろう」後進のために、伝えるべきものを伝え、残すべきものを残してゆこう。と思ったのです。
それが「5年間のラスト・ラン」を思いい立ったきっかけでした。


おはようございます。 一人のヴィアトールです。


考えてみれば、企業の組織人としての私の長いビジネスマン人生にあって、特にその後半になってからの私の強い関心事は、ますます「人と組織」となって行ったといえます。

その「人と組織」に対する強い関心事は、P・F・ドラッカーの著書を何度も読み返し、実務に適用し続けることで、私の具体的で確たる判断と行動の基準となって具現化されていきました。


今回は、以上の書き出しで始まる表題のかつてのブログを、以下多少集約修正してご紹介いたします。


「 マネジメントとは、事業に命を与えるダイナミックな存在である。彼らのリーダーシップなくしては、 生産資源は資源にとどまり、生産されない。彼らの能力と仕事ぶりが、事業の成功、さらには事業の存続さえ決する。マネジメントこそ、企業がもちうる唯一の意味ある優位性である。」

                                 P・F・ドラッカー

このドラッカーの主張こそが、「人と組織」に対する私の考え方を支える、中心の主張です。


マネジメントとは、組織のあらゆる階層のリーダーに求められる基本的機能であり、かつその機能は、組織の一員として一個人が自らを律する基本的機能でもあります。

更に、このマネジメントの機能を、企業組織の本来の目的に向けて健全に機能させるもの、それは「知識」ではなく、「真摯さ」であると私は考えています。


リーダーたる者にとって最も基本的な資質は、

「真摯さ」 である。

ここで、かつてのブログ記事 「 『真摯さ』 ということについて 」 (2012年7月7日投稿)に記した、ドラッカーの著書からの引用をご紹介いたします。

「プロフェショナルの条件」

厳しいプロは、高い目標を掲げ、それを実現することを求める。誰が正しいかではなく、何が正しいかを考える。頭の良さではなく、真摯さを大切にする。つまるところ、この真摯さなる資質に欠ける者は、いかに人好きで、人助けがうまく、人づきあいが良く、有能で頭が良くとも、組織にとっては危険であり、上司および紳士として不適格である。


「リーダーたる者にとって最も基本的な資質は、真摯さである」

信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。リーダーが言うことが真意であると確信を持てることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。

「真摯さなくして組織なし」

真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関わる決定にいおて象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる。

真摯さの定義は難しい、だが、マネジャーとして失格とすべき真摯さの欠如を定義することは難し
くない。

①強みよりも弱みに目を向ける者をマネジャーに任命してはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。

②何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがては組織全体を堕落させる。

③真摯さよりも、頭の良さを重視する者をマネジャーに任命してはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。

④部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。

⑤自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない。そのような者をマネジャーにすることは、やがてマネジメントと仕事に対するあなどりを生む。


以上がかつての記事の中で取りあげた、ドラッカーの著書からの引用です。


ここでドラッカーが語っていることは、言い方を変えれば、

大木にあって、多くの枝葉を従える幹となるところ(幹部)には、利につく人や勢いにつく人ではなく、義につく人をつけなければならない。

ということになるのでしょう。

しかし、諸般の事情によって、そうとは言い難い組織となっている場合があるのが現実であり、であるとすれば、それらの組織は、目的に沿った本来の成果から、ないしはそれぞれの責任に応じた貢献課題からも目をそらし、他にも様々な判断や決定の局面において、企業がもちうる唯一の意味ある優位性であるべき「マネジメント」の機能に対して自らブレーキをかけてしまうこととなるのでしょう。


変化は真理である。

ところで・・・、

人は誰でも、潜在的にはその人の成熟に向かって自らを前進させようとする力を持っているものです。ですから、適切な心理的条件や環境にあれば、自らを成長させようとするその潜在的な芽は、現実の思いや行為となって表れてくると、私は思っています。

したがって、企業組織の中のおおよその人間は、いつの時にか、いずれかの場所のいずれかの位置で、主体的なる静かな改革者であった経験を持っているのではないか、とも思っています。

ここで認識すべきは、「時」というものは止まったり逆戻りすることはなく、刻一刻と前に進み、しかも、一時も全く同じ状態にあるということはあり得ないということです。つまり、一回性の連続と変化はこの世の真理なのです。

かくて、その真理の中で生きている私たちは、外部から刺激を受け、刺激を与え、その過程のなかで変化していくのであり、そのような人間に変わらないことを要求することは間違いであり、決めつけてしまうことももちろん間違いなのだと思います。

人はそれぞれに、その時時に出会う人と事柄に自分らしく応じ、その繰り返しによって自分の人格を形成していくのです。

であればこそ私は、巡り来るその時時の事柄に唯々順応して生きていくのではなく、自分の人格を刻んで判断し、選択するぶれない基準を身につけ、それを更に深耕させ、そのようにして変化
しながら前に向かって行きたいと思うのです。

人生の螺旋階段上のレールの上で、刻一刻と前に進む未来に向かって少しでもより良く変化しながら、しかし、変わらない何かを自分のものにしたいのです。


ドラッカーの著書「プロフェッショナルの条件」の最後の章である「自己実現への挑戦」には、

成長するということは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。責任に重点を置くことによって、より大きな自分を見られるようになる。うぬぼれやプライドではない。誇りと自信である。一度身につけてしまえば失うことのない何かである。目指すべきは、外なる成長であり、内なる成長である。

とあります。


それにしても、とってつけるわけにはいかない「真摯さ」とは、どのようにして芽生えさせ養うことができるのでしょうか。それをいかにしたら一度身につけてしまえば失うことのないものとすることができるのでしょうか。これは、人間として全うに生きて行く上で、まったく重要なテーマです。


今回はここまでです。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。


なお次回は更にこの続きを改めてご紹介したいと思います。



今日が大事、今日が大切。

だから、

今日もいい日でありますように。




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