ぼんやりと思ったことを書く。
私はまだ英語教育者のたまご、でもないくらいの小さい人間なので、一意見として見てください。
大学の教授の研究室で見つけたある書籍を読んで、最近、「受容語彙」と「運用語彙(私の大学の教授は、発表語彙と言っていたかもしれない)」という言葉を知った。
簡単に説明すると、受容語彙は、知ってるけど、自分では使えない言葉。言い換えると、理解できる単語のストック。
運用語彙は、知ってるし、自分でも使うことができる言葉。言い換えると、手持ちのカード。
例えば...
私は、futhermoreという単語が「さらに」という意味だと知っているけれど、会話している中でfuthermoreを自分から使うことはできない。この時私にとってfuthermoreは「受容語彙」
一方で、私は、studyという単語が「~を勉強する」という意味だと知っているし、I studied English last night. とかいう風に会話でも使える。この時私にとってstudyは「運用語彙」
これらの用語は英語教育で重要視されているものだと学んだけれど、母語にも同じことが言えると思う。
大体の人間は、おそらく運用語彙より受容語彙の方が多い。だから、「自分では思いつかないけど、言ってることはわかる」状態を結構経験する。それは当たり前に起こること。
ただ、AIの普及などにより、私たちの運用語彙が以前よりも減少していってしまうのではないか?と考えている。私が初めてのブログでも書いた、「自分の言葉で書く機会が減っている」ことが運用語彙の減少に大きく影響しているように感じる。自分の力で文章を書かなくても、代わりに書いてくれるAIがすぐそばにあることで、自分がもともと持ってたであろう能力(または努力すれば身につけられたであろう能力)を手放してしまう。人間のペットになった動物が、自分だけの力で生きていく力を失うような感じなのかな、と思う。違ったら申し訳ないです。
あんまり結局何が言いたいのかはまとまってないんだけど、本当にそれでいいのかなっていうなんとなーくの危機感。
自分の気持ちを言語化できなくて、苦しんでいる人を何度も見てきた。もしかしたら、これが当たり前になってしまうのかも、この「苦しみ」さえなくなってしまうのかも、という感じ。
私がどうにかできるものではないけれど、せっかく(かなり拙いけど)自分で言語化できたので、このブログに残しておきます。また、進捗あれば、書きます。
では、また次のブログで会えたらうれしいです。