☆長男☆

  中学3年生 自閉スペクトラム症・ADHD

   小学校6年生の夏休み明けから不登校

   服用中の薬:コンサータ、インチュニブ、リスベリドン、ミドドリン

 

☆次男☆

  中学2年生 ADHD

  服用中の薬:コンサータ、インチュニブ

 

 

長男の不登校は小学校6年生夏休み明けから。

それまでにも、たまに学校に行きたくないときはあった。

そんな時は「よし!今日は休もう。どこか出かけるかバス」と、

気持ちを晴らしに行っていました。

 

長男が小学校1年生の時に離婚。

2年くらい別居のような生活でした。

しっかり者にならざるを得なかった長男...

 

たまに休みたい時は、自然と受け入れることが出来ていました。

 

それなのに。

いざ不登校となると、受け入れることが出来ない私がいました。

勝手ですよねショボーン

そんな自分を支えてくれたのが、長男の担任の先生と別教室の先生。

そして次男の担任先生「次男の事は私に任せて!」と言ってくれました。

(その言葉に救われたので、別の機会に書きたいです)

 

小学校時の担任の先生は、空き時間に家に着て算数を教えに来てくれたり、

諦めていた修学旅行や卒業式にも、参加できるように長男と話し合ってくれました。

別教室の先生も、病院・診断の結果・中学への連絡、卒業前のバタバタに対応してくださいましたお願い

 

中学1年生。

担任の先生は、週1・2回「帰り道なんで」と家に寄ってくれて、

玄関先から少しずつコミュケーションを取って、部屋で話すようになって、

学校に週一度通うようになりました。

(1時間だけですが、別教室に数学を勉強しに)

その時に、何気ない会話から「今も連絡を取っている友達」「好きなゲームの話」

そして「進学したいeスポーツの学校」を聞き出してくれました。

 

中学2年・現在3年の担任の先生。

お互いが、記憶に残らない生徒と先生でしょう。

通ってないので何もしてもらえない。

不登校には、こんなにも手を差しのべてもらえないんだ...ガーンと、

担任を持っているクラスの生徒の一人として、接して欲しかったな。と感じています。

別教室の先生とは、登校したときに会話もしています。

 

私自身、長男の同級生・同級生の親御さん・校舎を見かけると胸が苦しくなる時期がありましたショボーン

当然、在籍している学校であってクラスであって。

でも通ってなくて、なんだか複雑な気持ちがグチャグチャして。

モヤモヤは残ってはいますが、そんな先生ばっかりではない。

この2年間が、きっと先生との相性が悪かったんだなと開き直りるしかないプンプン

 

学校に特別助けてくれ!と求めているわけでなく、色んな情報やモデルケースを知っているなら、

アドバイスや経験を活かしてほしいニコニコ

第三者との関りで、少しきっかけや気づきや刺激を与えてもらえたら。その程度でした。

 

でも、早々にそんな気持ちを切り替え、放課後デイなど外に出たがらない長男に何ができるか、

地域や友人・インターネット・区役所・病院へ相談したり調べたり。

 

・訪問看護(病院からすすめられて)

・家庭教師(小学校の担任の先生が家で教えていてくれたので、習慣を残したくて)

・自立支援(訪問型。区役所でしりました)

・eスポーツ中等部

本人が拒否して利用しなかったものも多々...

 

これが正解か不正解かはわかりません。

嫌ならハッキリ断る長男なんで、今は正解かな。

 

子供たちには、人と話すことを大切にして欲しいな。と思っています。

 

病院で「長男の脳には『理解力』の道が今は無いの。その道ができたらいいなと思っている」と言われたときに...

 

長男と真剣な話し合いが私は苦手でした。何故なら、

「結論が出ない・全く違う話になる・話し合いが出来ない・極端に想像以上のスケールの話をしてくる」

病院での言葉に、そういう事か...なるほどな~と思いました。

 

だからこそ、いろんな方と接して話して「人の考えや表情をみて理解してほしい」は難しいかもしれない。

「こんな人がいるんだな」くらいで今はいい。

会話の中で笑顔になれたら、なお良いニコニコ

 

たくさんの方に関わっていただきながら成長している我が家です。

長男の笑顔が今戻ったのは、私だけでは無理だったと思います。

これからも一歩踏み出せるように、サポートしながらサポートしてもらいながら進んでいけたらと願っていますニコニコ