ああ…そうです。
ぐぅの音も出ない。

まさに、昔の私は
被害者の仮面をつけた加害者

「暴君夫」に攻撃される、「か弱き私」を造り出した私は、夫を非難することで、愚痴を言い続けることで、自分が自分を被害者に仕立て上げて人生の主導権、操縦席を放棄して、自分ではない誰か(例えば夫)に完全に押し付け逃げてきた。

「○○君が意地悪します!」と先生(愚痴相手)に言い付けて、あたかも自分には非が無いかの如く、先生の後ろに隠れる。

 完全に自分を
見失っている
みくびっている
見切っている
見捨てている 


でもさ、
そこまで振り切れないと自分の空回りに気付けなかった。
苦しみから早く解放されたい。早く安らぎがほしい。
(これは、私が幼少期から成人前までに姉に対しても同じ気持ちでいたので、私の子供の頃からの思い込み、前提等の解放を、夫は姉と同じ暴君になることで完全に私に協力したと言える。)
それが私を真逆に動かす力になった。
だから、あの被害者劇場は結果無駄ではなかったと思ってる。
常に結果は最善。


あの、とことん被害者ぶる気持ち、相手を加害者にさせ逃げる(当時その自覚はないが)
あれがあったから今がある。

今、そこをひっくるめて夫に感謝出来る私を探し出せたんだもん。

だから、私は後悔はしてない。
被害者になりきって逃げた事。
全ては今の私に繋がってるから。

少なくても今の私はそう思ってる。

だから、この記事を
パートナーシップ、夫婦関係、人間関係で
悩んでる人がもし読んだなら伝えたい。


大丈夫。
行き着くとこまで行けば
結局、気付く。

なーんだ。
私の1人コントだったんだ。
って。

本当は被害者も加害者もいない。
私の周りの登場人物は、全て本当の私を思い出させる為の炙り出しをしてくれる【協力者】

飽きるまで
被害者でいたらいいよ