今日は私の母の命日です。
35年が経ちました。
今月、私は母の年齢を超えました。

私が7歳で母は41歳。

斎場へ向かう車の中で棺をコンコン叩いて
「ママ、入ってますか〜?」と
言っていたのを覚えています。
無邪気?と言うか健気?と言うか。。。(笑)


母が亡くなって三人家族になりました。
父は外資系会社の営業マンで
喪失感を振り払うかのようにバリバリ働き、
海外出張も多かったです。
姉はちょうど思春期真っ只中で
甘やかされて育った(姉談)私が気に入らなくて
ストレスや不安を私にぶつけては、
どうにかして日々の折り合いをつけようと
していました。今思えば。

母親が亡くなった事はそれなりに理解
していたとは思います。
周りの大人達にかわいそうな子供と見られて
いた事も感じていました。

そうか、私はかわいそうな子供なのか
母親が居ないから、母親が死んだから
私はかわいそうな子供なのか。

お葬式では子供ながらに
私を見る目が、憐れみ全開で大人達の目が
居心地悪くてなんだか、凄く複雑な気持ち
になったのを覚えています。


子供の頃は
母親が早くに亡くなって

かわいそうな私
片親だからって言われないように
ちゃんとしなきゃ
でもちゃんとなんか無理

をぐるぐるしてた。


結婚して
自分がお母さんになってからの方が
お母さんに居て欲しいと強く思いました。

今わたしがこんな辛いのは
もとを正せば母が早くに亡くなったから。
私がちゃんとした母親になれないのは
もとを正せば母が早くに亡くなったから。

お母さんがいたら
お母さんと話せたら
きっと違ったはず。
そう思う事で責任転嫁したし、
無い物ねだりみたいな、
結論の出ない論争みたいな。

自分を憐れむ事しか出来なくて
どんどん辛くなりました。



でも今は
母親が早くに亡くなった事に
純粋にもっと母親という人間を知りたかった
なと思ったり、
もっともっと思い出を覚えておけたら
良かったな、
とかは思うけれど。

私の人生はこれで良かったんじゃないかと
思う。


確かに色んな事がありました。
母親が居ない事で。
片親は離婚も死別もいっしょくたで
白い目で見られる事もあった時代だった。
嫌な事も言われまくったし、
嫌な出来事も多くあった。
寂しかったし、困る事もあった。

大人になってからも
その当時からの思い癖や握り締めている
勘違いによって辛いドラマを味わう事も。


それでも、助けてくれる人は必ず現れたし
「お母さん」がどんな感じなのかを
教えてくれる人もいた。

それを体験出来たのは
もとを正せば、早くに亡くなった母のおかげ。


ずっとお母さんに「どうして死んだの?」って
聞きたかった。
「どうして?」ってずっと知りたかった。
今の私が思うのは
【母は私の為に死んだ】のかもしれません。
私のベストな人生をスタートさせる為に。
決してネガティブな意味ではなく、母の
大きな大きな愛です。しかも、私がそれを
選んだと言う事実。



母親が早くに亡くなったのは私の人生の
最初のスパイス(笑)
そこから、私の人生の味つけの探求が始まった
んだと今は思います。
時には闇鍋状態になって(笑)ゲテモノに
なりかけたりもしたけれど、
ゆっくり少しずつ味付けを調えて
今日まできました。

今日、母親の年齢を超えた私は
人生の味付けをどんどんシンプルにして
もっともっと美味しいものにしていく
作業に入りますハート

ありがとうね。ママ。
ママが見れなかった続きを見るみたいに
上から観察しててね。
私の私らしい人生をもっともっと探求して
いくから。