先日、映像を堪能しに某所にお出かけ。
映像がはじまり、盛り上がり始めるところで、そばでお子ちゃまの泣き声が(泣)。
暗闇だから、こんなとき親御さん大変。
いら立ちを覚える人も周囲にはいたかもしれません。
私は、過去に子どもがグズったときの自分の心境を思い出しながら
自分がその立場だったら…と思うと、一瞬いたたまれなくなったけど
それは過去の私の窮屈な体験でしかなく。
相手に対してそれが当てはまるかどうかは、わからない。
(御本人は超絶ポジティブで、赤ちゃんを連れてきてるのかもしれないし)
わからない他人の心境に想いを馳せて、今目の前にある自分の鑑賞ごとを味わえなくのは、優先順位が違う。
目の前の映像にいかに集中できるか。意識を周囲の環境音から、映像の内部へと移すという選択をする。
その親子は場所を移動したのか、まだ聞こえてはいたけど、声が次第に遠くへ。
そしてもう周りの音には惑わされないほど、映像に没頭し、細胞レベルで歓喜できた。
だから少なくとも私にとっては、その周囲の音は迷惑ではなかった。と言える。
その経験から、来た人なりの意識でその場を楽しもうとすることが大事なんじゃないかと思いました。
もう、うるさくて集中できなかったわー。と文句を言いながらその場を去るのとは、大きな差が出る。
例えば、他のお客様への気遣いや、騒音への気遣いがすぎるあまり、神経質なピリピリオーラが出ている美術館がある。
モンスターなクレームなどに悩まされてきた結果だろうし、展示側のスタンスとして一応理解はできる。
でも、最終的に本当に大事なことは何か。
鑑賞する側一人一人が、スルー力を備えておくことなんじゃないのかなと思った。
スルーというと、冷たい感じがするけど、そういう冷たいスルーじゃなくて。
鑑賞する場においてのスルー力とは、自分がその場を【気を散らさずに満喫しようとする力】。
そういう力を備えた人々がたくさんいることが、寛容な社会を生むと思う。
あまりに排他的すぎるアティテュードは、その界隈の文化を絶滅させるのではないかと。
これはアートの分野においてよく感じることですけど。話は戻って
相手の事情に意識を持っていかれて、それに対して【邪魔をされた】と、文句をいうことは
自分に集中するということにおいて、責任を放棄したってことになる。
集中した結果、その人たちに関わることもあるかもしれない。手を差し伸べたり、一緒に動いたり。
でもたいていのシチュエーションは、自分自身の関わりごとそのものに集中すれば、周りは景色として過ぎていく。
そのときの自分が【集中したいこと】に意識を乗せる。
…昨日はその訓練でした。
で、その映像すごかったです。
2016年から度々(常に?)上映されてるようですが、先日YouTubeのCMで見るまで知りませんでした。
私が普段まみれたいと思っているビジュアルに、3Dで浸れました。だいぶサイケデリックです。
ひも理論のことは、いまいちわからないんですけど、スピリチュアルな概念は宇宙とイコールだから、そのビジュアル化でもあって、楽しい。。。
時間のゆらぎ?だったかな、揺らぐビジュアルの中にあちこちに現れる主人公は、まさにパラレルワールド。
もう少し、この3D効果に頻繁に浸りたい♥
しかし、お台場はいつも豊洲方面から行くから気づかなかったけど
新橋方面から行くと、レインボーブリッジのあたりの体感がすごく楽しいですねー!あのループする線路。
レインボーブリッジを見て異様にアガる私だけかもしれませんが。
🚪
ところで、気分転換にイターリアのすごくいい香りの石けんにチェンジしました。
ここの石けんの香りは、どれも最高だし、たくさん種類があるけどそれぞれのパッケージのイラストもよくて、選ぶのも込みで素敵な気持ちにさせてくれる。
暑い日が続くから、お風呂タイムにゴージャスかつさわやかな気分を味わいたくて選んだけど
お盆中にありえない涼しさになりました🎐
体がそろそろ暑さに悲鳴あげる頃だったので、ちょうどよいですけどね、この涼しさは。
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