昨日のワタシ、タイトル通りのクエスチョンが浮かんでました。このタイトル通りのクエスチョンがよぎるようなことが、3つほど続いていたので。
...過去1ヶ月の人気記事...
いつの日からか、本人が自分で気付くことで変わるものだから、他人のことは変えられないと思っています。
過去にはよくお節介を焼きました。でも経験を通して、他人は変えられないことがわかってからは、お節介を焼きそうになる時の自分がすごくダサく思えて
これはなりたくない自分だ
という風に自分のことを認識するようになり、自分の母親のお節介像を思い出しながら、これを【なっちゃダメ像】にしてきました。
それからというもの、誰かに聞かれたときや、お互いの話題がタイムリーに重なったりしたときには、自分が経験から知っているようなことを答えたりすることはあっても、お節介を焼くというスタンスは取らなくなりました。
そして最近、近しい人たちが断続的に3人、ワタシにヘルプの意思表明をしてくることがありました。
本人たちは限界に近い感じで、もがいているように見えました。その内容はどれも、ワタシが過去に悩んで克服してきたことでした。
共感できる内容だから、お節介・なりたくない像は念頭にありながら、やっぱり手を差し伸べてあげたくなって、自分の返答に熱がこもりそうになりましたが
参考になるようなことを軽く伝えるだけにして、必要があれば助けるからと伝えました。
それが3人とも、自分から克服したいと打ち明けてきた割には、人の言葉はあまり耳に入れたくないといった様子でした。
彼らは胸の内を言葉にして苦痛を聞いてもらいたかっただけなのかもしれません。それに、自分のやり方で切り開きたいといった意思も若干感じられました。
そういうことならば、自由だから。尊重しよう。と話もそこそこに切り上げました。
ここでちゃんと向き合ったら、少しは楽になるのにもったいないな。力を貸したいな、でも本人がやりたいようにやるしかない。という心境で。
3人続いたので、この一連の出来事には若干モヤッとするし意味があると思い、これは一体ワタシになにを教えに来てるのだろう?と自分に問い合わせしてました。
しばらく考えてましたが
本当に相手に自分らしく幸せになってほしい純粋な気持ちもあるけれど、もしかしたら、人の助けになりたさ、には、自分の承認欲求もあるのかなと思いました。
その人たちに、あなたのおかげでラクになれたの!って言って欲しかったのかも。と思いました。
それは自分で認めてみました。
自分が気になる特定の人に囚われてるというのも自分で感じました。
そんなふうに、自分の中で対話していたら、よくわからないなりにも
他人でモヤッとするときは、同じことを自分にしてあげよう。もっと自分の内側へ向かってみよう。と思ったのでした。
実際のところその3人は、ワタシとのやり取りの時は底にいたようだったけど、数週間経って穏やかに輝き出してるのが見て取れるから、何かに気付いて突き動かされたんだろうなと思っています。
その後、クノタチホさんのブログの未読の記事を遡って読んでいたら、ワタシのクエスチョンのヒントになるようなことが載ってて、軽くビビりました。
過去の記事だから、昨日より前に読んだってよかったのに、クエスチョンが胸の内にあるこのタイミングで読んだんですから。
立ち止まるな
振り返るな
突き進め
内なるガイド、キャッチしてくれてありがとう。
読んでいると、周りの人のせいにして自分もそこに居続けようとする感覚は、自分の中でだいぶ薄れてきてる気がしました。
共感は大きくできるし、本心で寄り添うことはするけど、ワタシはワタシで進むよっていう他人と自分をちゃんと区切るようなニュートラルさというのか(見る人によってはなんか冷たくない?っていう感じを持たれるのかもしれない)。
最近思うけど、何かが深くわかると、AでありBでもある、っていう表現が増えてくる。。どちらに転んでも間違いではないから、ということがわかってきたからなのか?
昨日読んだ記事と自分の想いを総合して今日になって感じるのは
自分のこだわり箇所にもう少し寛容になることと、同時に、相手が自分の力で各々進むことを強く促してあげることとを、絶妙な塩梅でミックスすること。
あとは外の世界に惑うことなく自分の道を突き進め。というスッキリした感覚です。
🌿
過去に出会った
美しい瞬間や
気になった瞬間が
思いがけない方々の
使用用途に
マッチすることが
嬉しいです。
自分のささやかな動きが
世界のどなたかの
お役に立てれば幸いです。




