017 東陲ネンゴロ庵 「さざれ石の巌となりて」5  | 東陲ネンゴロ庵

東陲ネンゴロ庵

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017 東陲ネンゴロ庵 「さざれ石の巌となりて」5


1 はじめに

・ ネンゴロ庵、庵主後聞です。気温が上がり急に春めいて参りました。

 ネンゴロ庵の桜のつぼみもふくらんできたようです。

・ 前回は、自然石の巌とその上にのせられたさざれ石や砂の例について紹介しました。今回は、自然石の巌とその前や周囲に配置されたさざれ石についてご案内したいと思います。

・  このシリーズの中で紹介した神社で、2度以上顔を出している常連もいます。不思議に思われる向きもある かと思います。どういうことになっているのかというと、同じ境内に、2つ以上のセットが存在しているという事なのです。合祀されたということも考えられま すし、集落内に複数のグループがいたことも予想されますし、後に付け加えられたのかもしれません。その配置や大きさ、祭られている状況で判断していくしか ないと思われます。排除された場合は残っていないわけですので、調べる方法もありません。受け入れられた場合に残っているという事になります。


2 巌(いわお)が自然石の場合 その2

 巌とその前にさざれ石が置かれている場合

・  私が、このシリーズの中で繰り返し述べている「さざれ石と巌」のセットという考え方を思いついたのは、 福岡県宗像市の沖に浮かぶ筑前大島を訪ねたときである。といっても、その時ではなく随分時間が経ってから、写真を見ていたとき、これが「さざれ石と巌」を 表しているのではないかとひらめいたのだ。それは、宗像大社中津宮にあった。大きな岩の前に、それよりもだいぶ小さい石がいくつも置いてあったのだ。写真 を撮ったときは、何も考えなかったのだが、頭の中でアイデアが育っていたのだろう。そのアイデアと写真がつながったとき、私は確信を持った。これが国歌の 言うところのセットなのだと。しかし、その意味が失われてからひさしい。現在も大切に保存・更新されているところは、大事なものであるからということで、 その思いの強いところでは残されたのではないだろうか。残念ながら、その写真は今私の手元にはない。引っ越しを繰り返す内に失われてしまった。確認するた めに現地へ往きたいと思っているが、何時になるか分からない。



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・  写真は、福岡市の神社にある「さざれ石と巌」のセットである。鉢巻きのようにしめ縄を岩上部にまとって いる。前にはさざれ石とおぼしき小石が置かれている。これも、祭りの時に置かれるのか、参詣した人が持ち寄るのか、願をかけた人のものなのかよくわからな いが、そのいずれかではあろうと想像する。

・ 次のような疑問を呈する方が居られるかもしれない。

「さざれ石と巌は、大切なものであろうに、写真で見る限りでは、神社の境内地以外に置かれているように思われる。どうしてであろう か?」と。

・  お答えする。さざれ石と巌のセットと私は思っているが、そう思っている人がいるのかどうか分からない。 その意義が失われてしまって、邪魔になったとすれば、撤去されることになる。あるいはその一歩手前であるならば、神社の中心から遠いところに置かれること になるであろう。みなさんがよくご存知の狛犬(こまいぬ)がよい例であるので、紹介する。



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・  上の写真は緒方町にある神社の狛犬である。見ての通り木製である。神社神殿内に置かれている。現在見ら れる狛犬は、ほとんどが屋外に置かれている。それ故、石造りとなっている。木であると数年を経ずして朽ち果てるであろう。つまり、屋内→屋外という設置場 所の変更により、木の狛犬→石の狛犬と成らざるを得なかったわけである。社殿内に置くものが増えてくると、押し出されるものが出てくる。狛犬もそうした運 命を辿っているわけである。

・ 疑問に答えることができたであろうか。それでは、紹介を続ける。



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・ 中央後部に巌と言うには小さい石が置かれ、その前にはあふれるほどに小石が置かれている。その周りを四角い石柱と鉄の棒で囲ってある。 


② 巌とその周囲にさざれ石が置かれている場合。



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・ これこそ一見して、何かの石碑ではないかとお叱りの声が聞こえて
きそうである。実は最初見たとき、私もそう思った。石は前面が加工されており、文字も刻まれているようである。しかし、私は写真を撮った。それは、巌の周りに埋め込まれている丸い小石たちに気づいたからだ。何処にでもあるという声がきこえてきそうである。


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・  これが何なのですかと、厳しい叱責が聞こえてきそうな気がする。何処にでもこういうのはある。こじつけ もあんまりである。私も見過ごしてしまっていた。しかし、神社から退出しようとしたとき、何か気になってもう一度確かめたのであった。中央の大きな巌、そ れに寄り添うように密集して、支えているかのようにも見える小ぶりの石たち。巌を小さくした形である。人々の意識の中に「さざれ石と巌」というものは無く なってしまっているのだろうが、こうした形状を尊ぶ
記憶は残っているのかもしれない。


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・  小さめの巌を取り囲むように、角の取れた丸い石が置かれている。さざれ石と巌のセットという考え方が、 頭の中を占めていなければ、おそらく見逃していたのではないかと、後になってから考えたことがあった。こうしたものなら何処にでもあるとか、子どものいた ずらではないかと言う向きもあるかもしれない。

3 おわりに

・  今回は、巌の前或いは周囲にさざれ石が置かれているという場合について紹介した。さざれ石と巌という考 えが私の脳の中に幅をきかせている限り、どの神社に行ってもつい探してしまう。見当違いのものもあるかもしれない。しかし、そうしたことを恐れずに続けて いきたいと思う。次回からは、巌が整形され物をのせるための台になっている例をお知らせしていく。自然石の巌と区別するために、台石という名前で呼ぶこととする。元は何であったのかということを忘却してしまい、それが極まった状態と言うことができるであろう。これで失礼する。