Ⓒ五等分の花嫁/春場ねぎ

 

この無堂講師の「そっくり」は下田さんの言うのと、まるで異なる。

下田さんは外見的な特徴を指して言っているわけだが、

無堂講師のそっくりは内面も含めた話――。

「歪なほど」という言うのは五月が零奈の模造品の様だ。と示唆しているんだろうな。

的確過ぎるから逆に怖い気がするのだけど、

これはマルオでも見抜けなかったところなんだろうな汗

 

Ⓒ五等分の花嫁/春場ねぎ

 

無堂講師は"歪んだ愛執"と表しているが、自分は"妄執"と表するかな汗

 

Ⓒ五等分の花嫁/春場ねぎ

 

失った母親の面影を自分の中に求め、

自分自身が母親の代替物になるという強迫観念に捕らわれたのが

この時以降の五月である。

 

Ⓒ五等分の花嫁/春場ねぎ

 

自分の語彙力では上手く表現できないので、お爺さんの言い回しを借りると

こういう事なんだろうな。

 

Ⓒ五等分の花嫁/春場ねぎ

 

この後も五月のメンタルを抉る言葉が続きますが、

馬鹿にしたり、非難したり、相手を傷つける意図は感じられないんですよね。

事実であり、相手を思い遣っての事なのですが、その気遣いもまた感じられません。

"

"刃物の様な優しい言葉"と表したらいいのでしょうか。

言葉が矛盾しますが、自分の語彙力ではそう表するしかプンプンあせる

 

Ⓒ五等分の花嫁/春場ねぎ

 

そして、最後に五月のアイデンティティ破壊――。

 

Ⓒ五等分の花嫁/春場ねぎ

 

五月の回想にも、おそらく実父の事での失敗の記憶があるからそうなんだろうな。

Ⓒ五等分の花嫁/春場ねぎ

 

下田さんの話からも「笑ったところを一度も見たことが無い」という事からも、

零奈は教師として幸せだったのか?という疑問が湧く。

愛され慕われ…は客観的な見方であって、零奈の主観ではないからな汗