Ⓒ五等分の花嫁/春場ねぎ
一方、五月は学園祭で自習をしている事に成績とは別の意味で心配されてます。
この時期には風太郎は武田や前田とつるんでいますが、
五月は姉妹以外だと、らいはと出かけるくらいでしょう。
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あとはマルオと下田さん…五月に友達と言える相手いましたっけ?
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そして、五月の謎の中で五本の指に入る謎の1つ。
いくら勉強しても結果に反映されない事――
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最初は勉強の仕方が悪い。
本人が"勉強した気になっているだけ"という可能性を考えました。
何時間も教科書や参考書を眺めているだけで
勉強した気になっている人っていますよね
そういう類かと思いました。
間違えた問題の克服って勉強の初歩が出来ないのですから。
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平均29.6点と言われた五月が2年の学年末でここまでの成績を出したのは
それまでの努力が反映された結果なのですが、
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それでも、入試判定でD判定をもらうのは明らかに異常です。
とはいえ、当初はD判定を覆すことは常識的に無理。と思いましたが、
今回、五月がD判定わ取った理由の片鱗が見えてきそうです。
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後になって思うのですが、二乃のこの言葉は、
食べ物への欲望を断つ以上に核心を突いていますね。
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五月の"無理"はここから始まっているというのを二乃は知っていますよね。
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ここで下田さん、すごく核心を突いてるよね。
五月なりたいのは「母親」であって、正確には「零奈」当人になる為に
母親と同じ人生を歩もうとしている。
手段と目的が逆になんだよね。
教師になるのが目的ではなく、母親と同じになる為に教師になる。が五月の考え方。
ハッキリ言うと五月は零奈は母娘でも別の人間。
誰かの代わりになる事なんて誰にも出来ない。
下田さんの話の意味を改めて考えると、五月が憧れていたのは、
"母親"としての零奈で、"教師"としての零奈は五月の知らない"零奈"である。
自分の知らない母親を知りたいのは分かるが、
五月の教師になりたいというのは、自分の知らない母親の事を知ることで、
五月自身がより完璧な零奈になり変わろうとしている気がする。
要は五月という元の人格を母親の人格で塗り固めようとしている気がする。
当然、能力も人格も異なるわけだから色々と軋轢が生じるのだろうな。
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57話で五月は五月なりの「先生」になりたい理由を見つけますが、
今回その根底が揺らぎます。