主にTV等で頻繁に聞かされる、「令和世代」なる呼び方。これって一体どういう事なのかと、疑問に思えて仕方がない。
TV番組のタイトルなんかでも、「昭和(平成)世代vs令和世代」とか、「昭和(平成)の常識、令和の常識」みたいな感じのタイトルが並んでたりして、何だかある種の違和感や気持ち悪さを感じさせられる。
と言うのも、一定以上の年代の人間に対しては、ちゃんと「昭和世代」「平成世代」というふうに、当人が実際に生まれた時代に即した呼び方をしてるのに、これが10代以下の子供たちだと、一律に「令和世代」などと呼んでるからだ。
それを聞く度に、
「は!?何言ってんだ!?その子等は令和世代じゃなくて、平成世代だろうが。」
と突っ込みたくなる。
このようによくメディアが、「●●世代」と呼ぶ時の基準は何なのだと言いたい。
もういい加減、そこの所をハッキリさせろと。
令和世代と呼ばれてるその子供たちは、年齢的に考えて平成時代の間に生まれたんだから、普通に考えれば「平成世代」と呼ぶべきだろう。
令和時代に入ってから生まれた訳じゃないのに、何で「令和世代」なんて呼んでるんだ?
平成の世も終わり、時代が令和に移り替わってから、現在は7年目。
だから文字通りの「本物の令和世代」なんて、現時点じゃまだ7歳以下の小さな子供しかいない筈だろう。
なのに現時点において既に、7歳を超えてる年齢の者まで「令和世代」とか呼んでるのは、素朴な感覚から言ってやはりおかしい。
だからもう「●●世代」と呼ぶ基準や定義を、一律に「生まれた時代」に絞ればいいだろうに。
その方が変に混乱せず、判り易いと思うのだが。
ただ・・・そうするとだ・・・・その時代の末期とか、極端な話になると、その時代最後の年月日に生まれた者まで、「●●(生まれた時の元号)世代」と呼ばなきゃならないのか?という疑問も湧いて来るかと。
つまり、昭和64(1989)年1月7日こそが昭和時代最後の日となり、翌日の1月8日から平成時代が始まった。
そして平成31(2019)年4月30日こそが平成時代最後の日となり、翌日の5月1日から今の令和時代が始まった。
これら昭和64(1989)年1月7日と平成31(2019)年4月30日に生まれた者、またはこれらの年月日からさほど遠く隔たっていない過去に生まれた者も、ギリギリだろうと生まれた時代に即して、「昭和世代」「平成世代」と呼べば良いと思う。
とは言うものの、生まれた時代がまだ物心の付かぬ内に終わってしまったものだから、当人の内面的には自身の事を「昭和世代」又は「平成世代」だとは認識していないのかも知れない。
だからこそそういう者たちは実質的には、「昭和生まれの平成世代」「平成生まれの令和世代」だと言えるのかも知れない。
けれどそんなのはあくまでも、個々人の認識の問題に過ぎないのであって、公的にはそんな事は一切気にせずに、単純に「生年月日の元号が何だったか?」を基準にして「●●世代」と呼べばいいだろう。
公式にそう分類する事さえ認めさせれば、後は当人が自分の事を何世代だと思っていようと、それは当人の勝手というものである。
以上の事から「●●世代」と呼ぶ時は、当人の生まれた時代(元号)を基準に呼べばいいとして、「●●(元号・時代区分)の■■(人物名)」といった呼び方をする場合は、別にその者の生まれた時代を基準にしなくても良いだろう。
よく過去の時代に際立った活躍・名声・実績等を残した人物■■を彷彿とさせるような、後世のよく似た類型の人物を、「●●の■■」などと呼んだりする。
例えば野球で言うならば、王貞治は現役時代に通算で868本という、世界史上最多のホームラン記録を達成したので、「世界のホームラン王」の異名を持つ。
昭和55(1980)年に引退して以降、現在に至るまで既に40年以上もの長い歳月を経ているが、この前人未踏の一大偉業は国内のみならず、世界中でも未だに破られていない。
もし平成の時代にこの王貞治以上か、それに近い程の本塁打記録を達成した野球選手が現れていたならば、その選手は「平成の王貞治」と呼ばれていたかも知れない。
それはその選手が昭和の内に生まれてたとしても、それとは無関係な話で、ここで基準となるのはその時点で活躍している時代である。
だから生まれは昭和世代だろうが「平成の王貞治」となり、同じく現在それ程の大記録を打ち立てているならば、たとい昭和世代・平成世代だとしても「令和の王貞治」となる。
最後まとめに入るが、要するに「●●世代」と「●●の■■」では、基準となる時代が違うという事。
前者は生まれた時代、後者は功成り名遂げた時代を、それぞれの基準にすれば良かろうと思う。