巷では差別に関してやたらとうるさく、ヒステリックになってばかり。
そもそも差別って元々悪い意味なんてなかったのでは?
辞書で【差別】の項を引くと、以下の通り。
①ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。「いづれを択ぶとも、さしたる-なし/十和田湖 桂月」
②偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。 「人種-」 「 -待遇」
【三省堂 大辞林 第三版】
①あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」
②取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」
【デジタル大辞泉】
と、このように本来の意味と、後から発生した悪い意味の二種類が記載されている。
だったらそれぞれ前者の方は「区別」と同義になるのだろうか?
悪い意味はいつ頃から付加されたのだろうか?
元々「差別」とは「区別」と同義で悪い意味はなかったのに、今や悪い意味しかないかのように錯覚されてるんじゃないのか?
だったら「差別」というのを一律に「悪いもの」「根絶すべきもの」と捉えるのは間違いではなかろうか。
すなわち何でもかんでも、「差別反対!!」とか叫ぶべきではないって事になるだろう。
世の中には「正当な差別」と「不当な差別」、「健全な差別」と「不健全な差別」があるんじゃないかと。
つまり道理に適ったものと、そうでないものとの違いである。
だが世間で騒がれてる「差別」とやらは、ある特定層のみに都合が良く、恣意的に歪められたものが多い。
なので本当にそれが悪い意味での差別に当たるのかどうか、健全な常識に基く感覚で、個別に判断すべきだろう。
例えばよく挙がりがちな例だが、風呂やトイレを男女別に分けるなんて事も、一種の「差別」なんだし。
まさかこういった差別までなくせ、とでも言うのだろうか?
「いや違う!それは差別じゃなくて区別だ!」とか言われそうだが、そんな瑣末な言葉の表現上の差異に拘る事に、何か意味でもあるのだろうか?
そして話は変わるが、どうやら世の中には、「あらゆる差別に断固反対します!!」などと威勢良くのたまう人もいるみたいだが、筆者は賛同出来ない。
それって矛盾してないだろうか?そんなのは言葉上の事だけで、現実には成立不可能な話だと思うのだが・・・・
「間違った差別に反対」すると言うのなら分かるが、「あらゆる差別に反対」だなんて、そのような範囲を限定しない無制限な反対は、さすがに無理があるだろう。
何しろ「あらゆる差別に反対する」という事は、そう言ってる事で既に、何らかの差別をしている人たちの思考や存在を「認めない」「許さない」と否定・排除している訳だから。
それってつまり、その何らかの差別をしている人たちを「差別」してしまってる事になる訳だから。
だから言ってる事が既に矛盾しているし、ダブル・スタンダードになってしまっている。
それは言い換えれば、「自分が他人を差別するのは良いけど、他人が差別するのは許さない」と言ってるも同然ではないか。それじゃ単に身勝手なだけだろう。
なのでそのような一見尤もらしく、恰も正論に聞こえそうな空論に与するつもりはない。
「差別」と同様に「偏見」も悪者扱いされている。
偏見は差別と密接な関係にあるけど、これも前述と同様、範囲を限定せずに無制限に禁止・排除しようとすべきではないかと思う。
「偏見を持ってはいけません!!」
と、血相変えて言う人も、もしかしたら広い世の中には存在するのかも知れない。
筆者はこれまでそういう人に出会った事はないが。
さっさと結論を言ってっしまえば、偏見なんて多かれ少なかれ、誰もが何がしかは持ってるもの。
だから偏見は極端に筋や道理が通らず、しかも人様に迷惑を掛けているのが良くないのであって、筋や道理がそれなりに通っていれば、たとえ他人の目からは偏見に見えても、それは「定見(ていけん)」と呼んでもいいのではないかと思う。
以下はデジタル大辞泉より。
【偏見】
①かたよった見方・考え方。
②ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。
「偏見を持つ」「人種的偏見」
【定見】
①他人の意見に左右されない、その人自身の意見。
②一定の見識。
「定見をもつ」「無定見」
上記を見るに、偏見と定見は紙一重な感じだが。
いつ頃だったかハッキリ憶えていないが、今からもう十何年も前だったか、それとも二十年以上も前だったか、もはや曖昧であるが、こんな出来事を思い出した。
と言っても取るに足りない些細な出来事だったが。
ある日、休日に東京まで足を延ばして、六本木の街中を歩いていたら突然、筆者は小太り気味でイカツい感じの黒人にいきなり話し掛けられた。
スキンヘッドで耳にピアスとかしてて、服装も何となくストリートギャングやチンピラっぽい恰好してたので、一瞬ドキッとした。
何やら筆者に話かけて来たのだが、「何かヤバそうだし、関わりたくないな・・・」と思い、黒人の話を全く聞かずに、咄嗟に「ノーサンキュー!」と言ってしまった。
ひょっとしてドラッグだか変な代物を売り付けられるんじゃないかと懸念したからこそ、咄嗟にそんな台詞が出てしまった訳だが。
それを聞いてその黒人、苦い顔をしながら「チッ!!」と舌打ちして、そのまま去って行ったので、私は面倒事にならずに良かったと、内心胸を撫で下ろした。
もしかしたらこの黒人、見た目とは違って、別に不良外人とかじゃなかったかも知れない。
だから小うるさい良識派気取りには、「見た目だけでそんな態度取るなんて!!」とか言われるかも知れない。
けれどいくら偏見だ何だと批難されようと、そんなのはこちらの知った事ではない。
相手の見た目が見た目だけに、「もしかしたら」と警戒して、相手の気分を害する結果になった所で、別に批難されるイワレもなかろう。
そんなつまらん「正義」なんぞを気にした結果、馬鹿を見る羽目になったら、それこそ本末転倒もいい所ではないか。
だから仮に実際には不良外人じゃなく、普通に何か尋ねようとしてただけであったとしても、筆者はこの黒人に対して、未だに「悪い事しちゃったなあ・・・」なんて気持ちは更々持ち合わせていない。
まずそんな見た目してる方が悪い。しかも場所が場所だけに。
六本木なんて、タチの悪い不良外人が多くいるような界隈だし、そんな土地柄でそんなナリした外人にいきなり声を掛けられたら、大抵の人は「ドキッ」とするんじゃないか?
つまり「それは差別や偏見じゃないのか?」と言われても、そういう対応になって当たり前だろう。
そんな見るからに危なそうな外見の奴なんかと、落ち着いて話せるとでも思ってるのか。
もしその黒人がそういう対応されるのが気に入らないのだったら、そんなギャングやチンピラまがいの恰好するのを止めるとか、あるいは「ノー!ノー!チガウ!!」とか言ったりして、害意のない事を示して誤解を解くべきだったのではないのか?
それすらもせず、ちょいと不本意な態度を取られた位で、舌打ちして不貞腐れるんだったら、それは身勝手だし、別に詫びる筋もないだろう。
相手がもし黒人ではなく、白人とかだったらどうだったか?
仮に白人だとしても、そんなナリしてる奴とは関わり合いになりたくはない。
そんな訳で、この事例を「偏見」だと言うのなら、こういった偏見は案外大切だと思う。
筆者は「偏見」ではなく「定見」だと思っているし、これが偏見だと言うのなら、行き過ぎていない健全な偏見は、危険や厄介事から自分を守ってくれると思うのだが。
偏見と言われる事柄には、正当で合理的な根拠もろくになく、考慮するに値しないくだらないのも多々あるが、それでも大概は偏見を持たれる側に、そうなっても仕方のない理由がある。
話の次元が大きくなるが、日本の近隣の某国家群の住人たちとかがその良い例だ。
「全体的なイメージじゃなく、個人個人をきちんとよく見ろ!そんな人間ばかりじゃないぞ!」とか喚かれても、「あっそう・・・だから何?」だ。
そういうイメージを持たれる程の事を、過去から散々積み重ねて来た方が悪いに決まっているだろう。
そんな一人一人の人間性とかを、じっくり吟味なんかしていられない。
何で我々らがそんな面倒な事させられなければならないのか?
国によっては不潔なのが文化だったり、そういうのが古くからの習慣だという社会もあるようだが。
だからと言って別段理解しようとは思わないし、そんな社会では暮らしたくもない。
筆者がこういう考えだからって、「異文化に対する理解がない」「偏見丸出し」「キャパシティー(受容量)が小さい」とか言われても、「そう思いたければ勝手にそう思えばいい」としか。
そのような綺麗事を吐く手合いには、「だったらそう言うお前が、そういう社会で実際に暮らしてみろ。」と言いたい。
以上。