高校生活を終え、僕は看護学校に進学した。
「国家資格=安定」。それくらいの軽いノリで決めた道だった。
でも、入学して最初に思ったのは――
「……うっかり、本当に入っちゃったな」だった。
登校初日。
看護学生としての自覚もないまま、重たい足取りで教室に入ると、そこには女子が教室の三分の二を占めていた。
彼女たちの表情は、どこかキラキラしていて、「夢に向かって来ました!」みたいなオーラが漂っている。
「なんで看護師を目指したの?」という問いに、
「小さいころ、入院中に優しくしてもらって」
「医療ドラマを観て憧れて…」と、志の高い理由が次々と飛び交う中、
自分の「なんとなく」の選択が、急に場違いなものに思えてきた。
入学前、仲の良い友達に「春から女子に囲まれてハーレム生活だ!」なんて浮かれていた僕は、早々に心のどこかへ退場した。
授業が始まると、容赦なく専門用語が飛び交い、解剖生理学や看護学など、初めて聞く言葉ばかり。
部活もないのに、なぜか毎日赤点ギリギリ。再テストが常連になっていく。
そんな中、1年生で唯一の実習が始まることになった。
――担当の患者さんを一人受け持ち、話し相手になる。
内容だけ見れば、そこまで難しいものではなかった。
コミュニケーションには多少自信があったし、「まあ何とかなるだろう」と思っていた。
でも、学生用ナース服に袖を通したとき、自分でも驚くほど緊張しているのに気づいた。
鏡に映る自分の姿は、どこか借り物のようで、すこしだけ滑稽でもあった。
病室に入り、担当の患者さんのベッドサイドに立つと、年配の女性が穏やかな目で僕を見上げた。
「こんにちは、○○看護学校の実習生の…」と声をかけると、彼女はふっと微笑んでこう言った。
「うちの孫に、声が似てるのよ」
それだけの一言だった。
でも、そのときの柔らかな笑顔と、静かな言葉の温かさが、胸にじんと沁みた。
「ここに来てよかったのかもしれない」と、ほんの少しだけ思った瞬間だった。
1年生での実習はそれ一度きりで終わった。
「あれ、意外といけるじゃん」
そんな軽い気持ちでいた僕は、この後、2年生・3年生で待ち受けていた“本当の実習”に、しっかりと叩きのめされることになる。
――けれど、あの患者さんの一言だけは、今でも時々、思い出す。