だいぶ日が空いてしまいましたが…こちらの続きです。
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遊戯王VRAINS完走しました!
最後らへんは毎回泣いていた
リボルバーさん(主人公のライバル)のセリフが私を泣かしに来ている
などを書いて投稿してました。
VRAINSにはリボルバーさん以外にも、めっっっっっ……ちゃ心打たれるセリフがあって超考えさせられたのでそれをぜひみなさんに伝えたくてポチポチ打ってまスタ。
先に少しだけ説明しておくと、遊戯王VRAINSの主人公は藤木遊作という名前の寡黙な高校生で、
もう一人の主人公的な、このストーリー始まってずっと遊作の相棒やった超重要なポジションのAIのアイっていうキャラがおってね。
このアイがめちゃくちゃいいキャラなのもう大好きなの私。
アイは、人間が作り出した「意思を持ったAI」なんです。ネットワークの世界にしか存在しないデータなんです。でもAIらしからぬ表情の豊かさ、感情の豊かさがすっごい魅力的なとてもよいキャラ。
寡黙な遊作とコミカルなアイの掛け合いがおもしろくてね~、だんだん絆が深まって、ピンチのときは助け合ったりお互いそれとなく思いやったりして、それ見るたびに胸が熱くなったりしてほんまにこのコンビ大好き、、VRAINSおもろ、、、なにこれ、、ってなってたわけです。
最終章でやってきた遊戯王らしい鬱展開、世界の命運をかけて遊作とアイが対立して悲しすぎるラストデュエルするんやけどそのときのふたりの会話がもう私に刺さりまくったのでそれを紹介したかったのです。
アイは、自分が存在することで大切な遊作の過ごす世界が破滅の未来に向かってしまうことがわかった。
だから遊作に自分を倒せってデュエルを仕掛ける。
世界を破滅から救うには相棒のアイを倒さないといけない。
でも相棒のアイと闘うのがツラくてなかなか本気を出せない遊作。
こんな鬱な展開誰が予測した?ほんま悲しすぎた。
以下、
主人公:遊作(ゆうさく)
AI:アイ
で色分けします。
一緒に来ないか?俺と一緒になろう。お前の意思をデータ化して俺と融合するんだ。俺と一緒になれば、寿命なんてものも関係ない。俺たちは永遠にネットワークという世界で生き続けるんだ。
それはできない。もし俺がお前とひとつになろうと、それはお前が求める答えにはならない。命は、意思は、たったひとつなんだ。もし俺がお前と融合したら、それは俺じゃない。そしてそれは、お前じゃないんだ。
生きるということの答えはない。誰もが苦しくなると、楽になるための答えを求める。簡潔で、絶対的な答えを。だが、もし答えがあるとしたら、答えはない、だ。絶対的なものなどこの世界にはない。そういうものがあったと思い込んでも、それは結局一時的な慰めに過ぎないんだ。
じゃあ、絶対的なものがないなら、何が残るんだ?
繋がりだ。
誰かと誰かの繋がり、何かと何かとの繋がり、あるのはそれだけだ。それも時間とともに変わっていく。何かがきっかけで、大きく変化することもある。繋がりが消えることもある。だが、新しい繋がりができることもある。生きていくというのは、その繋がりの連続だ。それが命なんだ。
ずっとそれに付き合わなきゃならないのか。
そうだ。
めんどうだなぁ。
あぁ。
それって強くないとやっていけないんじゃないのか。
だから人は強くなる。
これほんまに
カードゲームの
アニメ??
ふたりのセリフ奥が深すぎる
遊戯王ってほんっっっっまブッこんでくるんですよね~~~どのシリーズも子供向けホビアニじゃないんですよマジでね~~~。
しかもデュエルの勝敗が決して、アイは負けてしまうんですけど、アイちゃんさぁ、遊作の腕に抱かれて最期に消えていくときに
「あぁ…俺死ぬのか…消えるって怖いな…」
みたいなこと言うんですよ。
信じられへんくらい泣かせに来てた。もうカードゲームアニメちゃうねんセリフが。
ばあちゃんのことで弱々になってる今の私にグサグサ刺さりまくって号泣したわ。
ちょっとセリフとはズレるかな?と思うのですが
生きていく上で避けて通れない
「愛する人の死」
「愛する人との永遠の別れ」
というものに恐怖心を抱くのは当然のことと思います。
(案外自分の死には疎かったりする。)
魂は永遠に続く、死というものは存在しない、今生きているこの世界が夢で…とか、魂だけの世界には愛と喜びしか存在しないからいろんな感情を学ぶためにこの世界に来た、みたいな話もありますよね。
ちなみに私はそういう話を信じている派の人間です。臨死体験した話とかね、まあ私は心の世界の話が好きなのでそういった話に抵抗もありません。
ですが。
やっぱり日に日に弱っていき、確実に別れのときが近づいているのを肌で感じると怖くて怖くてたまらなくて、さみしくてさみしくて嫌で嫌でしょうがなくて大泣きする日があります。
大好きやからもっと一緒にいたいという、ごく自然な感情なんですけどね。
ずっと生きてて欲しい、一緒にいたい、できればあと10年は生きてて欲しいとか、今日は大丈夫かな?弱ってたらどうしよう、今日はどうかな?大丈夫かな?そんなことばっかり考えてしまいますし。そして心配して不安になって自分がしんどくなる。心が疲れる。
自分ひどいなって思うのは、例えば、ばあちゃんとおんなじ年齢の人たち、もっと年上の人たちがいて、ばあちゃんは死にかけてんのになんでこの人らは元気なんやろう、なんでこの人らにはまだ寿命があるんやろう、ってすっごいモヤモヤイライラしてしまうんですよね。これは妬みなんでしょうかね。自分ひどいなって思います。
でもねー、仕方ないんですよ。
いつかくる別れが怖くてたまらない。
割り切っても、割り切れないときだってある。
心の世界を勉強してきて「悔しさ」とか「腹立たしさ」とか「嫌なこと」、「怒り」などは昇華できるようになったけど、「悲しみ」とか「愛する人を失う寂しさ」はまだ全然昇華出来ないなぁ。
ばあちゃんだけじゃない、この先お母さんもお父さんも含めた私の家族たちを見送っていかなければいけない。そんなこと耐えられそうもない。さみしくて。
でも生きるということはそういう悲しみに耐える経験もしていかなければいけない、ですよね。
人生における通過儀礼なんやけど、何回繰り返したって到底強くはなれないし、慣れることもない。できれば二度と経験したくない。過去2回、家族のお葬式に出ましたが、もう絶対に出たくないと私は思います。
それが嫌な私には、人間を捨てて、みんなの命をデータ化して、ネットワークの世界で永遠に生き続けるっていうのが非常に魅力的に思えたんですよねぇ。
だって悲しみがない。
大好きな人の死を回避できる。
永遠に、今生で出逢った大好きな人たちと一緒にいれる。
寿命を気にせず愛する人との別れも気にせずみんなで永遠にネットワークの世界で生き続けるか、人間としていろんな悲しみを乗り越えながら、出逢いや別れを経験して、そしていろんな感情を学びながら寿命を全うするか。
どっちが幸せなんでしょう。
でも、じゃあ永遠に生き続けたいのか?と問われると、それは「うーん…?」って感じで。
例えば今が、4年前にお空に帰った大好きなおばちゃんが生きてる世界線やとして、ばあちゃんも母さんも父さんも弟家族も大好きな人たちがみんな生きてる、老いることもない、そんな世界が永遠に続くんやったら、私はネットワークの世界で生き続けることを選ぶかもしれません。たぶん選ぶと思う。
その選択の前提にあるのは、私が大好きな人たちが存在すること。
新たな繋がりは確かに生まれています。
いとこや弟が結婚して新しい家族が増え、さらにいとこの子供が生まれたり、私にも姪が誕生したりして家族がどんどん増えました。
これからまた新たに繋がりができるかもしれません。
でも確実に消えていく繋がりもあるわけで。
やっぱり、そこにはお空に帰ってしまった大好きな人がいて欲しかったなぁと思ってしまうのです。
命あるものがお空に帰るとき、
命あるものがこの世界を卒業するとき、
「死」をもって「終わり」とする
と設定した人(存在)を私は恨むぞ。
ゲームにログイン、ログアウトするみたいに楽しみでもって始まりと終わりに欲しかった。
なんで「死」と「お葬式」で「終わり」なんやろう。
最後の最後にドでかい悲しみを投下してくれるなよ。
この地球上で死ぬことでログアウトする設定考えた人とか決めた人を私はほんと恨むよぉ。