今ある記事を見つけ、
私自身のレバノン行きへの後押しを意味していると感じました。
私が2歳だった1980年、
テレビの前で立ち尽くしながら、全身で感じ取った、義足で走る彼の魂の凄味を今でもよく覚えています。
15年前にオタワへ移住した際、
テリー・フォックスのことはすっかり忘れていましたが、オタワの街には彼の名前を所々に見つけることができるので、「そういえば!」と思い出し、
あの時に受け取っていた彼の凄味に、大変な海外生活へチャレンジする私の背中をずっと押してもらうこととなり、ここまで来ることができました。
先ほど見つけた記事は、
テリー・フォックスの銅像の位置が少し変わりますとのことだったのですが、
私はこの記事に涙が出てきました…。
“レバノン行きに関して導きを下さい!”
とお願いした後に見つけたのです…
はっきりと、“背中を押してもらっている”ということが分かります…