更新です。

 

月曜日の午後に母が入院しました。

 

2回目の入院。

 

不穏で始まる朝。

 

朝のあいさつの後に必ず、何故?から始まります。

 

心も体もヘトヘトに私には、苦痛の何物でもない始まり。

 

娘の事も忘れ、誰なのか分からない場所で目覚める不安といら立ちをぶつける母に言葉がきつくなります。

 

何も言わず、語らず午後から病院に行きました。

 

訳も分からず、診察を受ける母。

 

医師が説明します。

 

4か月前に入院していた事。

 

精神が不安定になり、病気の進行が見られる事。

 

母には理解できません。

 

でも、身の危険を感じ必死に説明します。

 

大阪からここに通えない!家族に言ってない!みんなが心配するから行けない!娘の家にいるから行けない!

 

その時だけ娘が分かります。

 

そして、私を叩こうとします。

 

あんたがしたんか?

 

何も言わない母に手をあげようとします。

 

看護士の促しに諦め、診察室を出て行く母。

 

パパの事も分かりません。

 

医師とケースワーカーが私に聞きます。

 

お父さんは、本当に出て行かれたんですね?

はい

 

退院してからの今までの話をしました。

 

金銭的にも厳しい事、母の介護が限界に達している事などを話しました。

 

医師が単刀直入に退院後の行き先を明確にした方がいいとの提案がありました。

 

ケアマネさんの1カ所だけの特養申し込みだけでは難しいとの話でした。

 

ケースワーカーさんが後2カ所の申し込みの提案などをしていただきました。

 

早速、申し込みの準備もしていただき病院で申し込みが出来ました。

 

皆さんに助けていただき感謝しかありません。

 

色んな事が1日で起こり過ぎて、思考回路が停止していました。

 

家に帰ってからもボー然な私。

 

でも、やらなければいけない事も山盛り

 

手続き、包括への相談。障碍者手帳の申請…

 

その日は、動けませんでした。

 

家に帰り、留守番と掃除をしてくれていた双子妹から報告が…

 

父から電話があったとの事。

 

弟に電話をしました。

 

母の事を報告をしました。

 

そして、父の事も

 

弟の第一声は、お疲れ様、ありがとう

 

その言葉に涙が出ました。

 

ごめん 最後まで看れんで

 

でも、今までに無いぐらいに褒めてくれた弟。

 

そして、父の対応についてそっとしておこう。

 

二人で話した結果、母は私たちの世話はしてくれていました。

 

心配もしてくれていました。

 

父は、私たちが必要な時も大変な時も蚊帳の外でした。

 

そんな父に私たちは愛情がない事を悟りました。

 

必要以上にかかわって来た時は、警察に相談に行きます。

 

私のこの先は、母の落ち着く場所探しです。

 

入院中にこの先を見つけなければいけません、

 

費用は、弟も協力してくれるそうです。

 

色んな事が一度にあり過ぎて、まだまだ整理がつきませんが不思議と気持ちはすっきりしています。

 

やり切った感があります。

 

私の家族は、終わりましたが私が作った家族は守ります。

 

一つ落ち着きました。

 

落ち着いたら終焉を更新したいと思います。