ある日。

森で昼寝をしていたショウはえも言われぬ違和感を覚えて目を覚ました。



「んーっ」



伸びをして、身体中をぽんぽんと手のひらで探り、異常がないか点検する。

彼には違和感に対してそれなりの心当たりがある。この森にはイタズラ好きなエルフ、ニノがいるのだ。以前ショウは魔法の黄色い粉をかけられて、脚が逞しいメイドさんにされた苦い思い出がある。



(またなにかやられた?)



と、辺りをキョロキョロと見回すが、自分にも周囲の様子にも特に変わりなく、そこにはショウに懐いている紫色の蝶がいつも通りにひらひらと舞っていた。




(あっ!やっば!そろそろ戻らねぇと村のニュースの放送に間に合わねー!)



寝起きの良いショウは、さっと立ち上がると、顔を洗うために湖に向かう。




そこでショウは驚愕した。




水面に映る自分の顔に、なんと、唇が……ない。



非常に中途半端なのっぺらぼうのようだが、笑うにも怒るにも口がないから表情も乏しい。




ショウはもどかしくて思わず叫ぶ……こともままならず



「んーっ!?」



ショウは唸るしかできない情けなさに悶えた。




(くっそぉー!俺のくち!どこいった!?またニノの仕業か?)






すると、湖の青色の水面がもやもやと波打ち、水遁の術から表れた青い忍びのサトシが、ショウのいる岸辺へ上がってきた。


「ショウくん、ごめんね、起きるまでに取り返そうと思ったんだけど……」


サトシいわく、湖の守護神マサキが、寝ているショウから生気を奪おうとしていたところに出くわしてしまった。サトシは見なかった振りをしようとも思ったが、マサキの方が慌ててしまって、まさに『唇を奪って』逃げていったのだとか。



(あんにゃろ。生気が欲しい時にはいつでもやるからコソコソすんなっつってんのに。)



「ショウくん、ニュースまでに唇を奪い返さないとだよな」


うんうんと頷くショウ。

唇をマサキに奪われて彼に呼びかけることも出来ないショウはもどかしさに堪らず、水面をバシャバシャと叩く。



「ショウくん、やめろ!落ちたらあぶねーぞ!とりあえずいまはオイラの唇貸してやるから、それでニュースだけやってきたらどうだ?」



(いやだよ!そんな青くて具合悪そうな唇じゃ……)

「んー、ずっと水に入ってたもんだから冷えちまったんだよなぁ」

(そうだった、俺の唇を取り戻すために水に入ってくれてたんだよね、サトシくんありがとう。そうだ、サトシくん、マサキを呼んで欲しいな)



ショウの頼み事には全力で応えたいサトシは得意の美声を響かせてマサキを呼んだ。




「ディスコスター…ディスコスター…ディスコスター…」

「ちょっと、オジサン!そんなんじゃまーくんは出てこないですよ?」




と、ふんわりと舞い降りたのはショウが初めに疑ったニノだ。



「ショウさんこんにちは、ワタシのこと疑ったでしょ」

(うん、ごめんな)



と、首肯すれば



「あら、素直じゃん。そんな素直なショウさんならワタシも協力してあげますよ」


「協力って、ニノ、マサキを呼び出せるんか?」

「オジサンがいくら術を唱えたって、今のあの人はショウさんの唇に夢中で気づかないと思いますよ」

「え、じゃあ、どうやって?」

「フフ、こうするんです」




エルフなニノはキラキラと輝く黄色い粉をショウの肩に止まっていた紫色の蝶へ振りかけ、蝶を形代に呪文をとなえる。




『この中にお医者様はいませんかぁ!?』




ニノの召喚魔法により、紫色の蝶の中から美しい青年が現れ



「お話を聞かせてください」



ショウに優しく語りかけたのだった。





(湖にいるマサキが俺の唇を奪ったって、サトシくんが目撃したんだ。)

「あのね、ショウさん、キミがいつもそばにいてくれて嬉しいって。」



と、ニノはさも通訳をしているかの如く、まったく違うことを蝶に伝える。




「おい、ニノ、ショウくんそんなこと言ってねーだろ?」

「まーくんを呼び出すならこれが一番効果的なんですから、オジサンは黙ってて?」

(なぁニノ、この人がマサキを呼んでくれるの?)

「まぁ、見てなさいって」

「蝶くん、キミに名前はあるの?」

「はい、僕はジュンといいます」

「じゃあ、ジュンくん、ショウさんにキミの名前を呼んでもらいたいと思わない?」

「はい!ぜひ!」

「そうしたら、キミがショウさんに唇を与えたらいいんだ」

「それは、どうすればよいのですか?」

(ニノ、ジュンが俺に唇をつけてくれるの?)

「まぁ、そんなところですね」



と、ニヤリと悪巧みをするように薄い唇を歪めたニノは、野花から抽出した鮮やかな赤色をジュンの唇に乗せた。



そしてひときわ大きな声で、まさに、マサキに聞こえるような通る声で言った。



「さぁ、ジュンくんの唇をショウさんの新たな唇として移し与えるんだよ。唇の場所にキミの唇を重ねてごらん?」

「お、それは版画みたいな要領だな!」

「オジサン、ご名答!」

「ショウくん、よかったな、オイラの青い唇よりはずっと美しい唇になるに違いねぇな!」



ニノはこのままマサキがおとなしくしているとは思っていない。簡単にジュンのキスマークをショウに施せるとは思っていなかった。
そしてこれは、実はニノの作戦。




そんなニノの思惑に気づかないショウ。



(これはこれでニュースに間に合う応急処置的なことで悪くないか)




事態を素直に受け止め、目をつぶる。


ジュンは嬉しそうに、けれど慎重に、大好きなショウの唇を目指す。ショウの役に立ち、しかも、自分のキスマークがショウの唇として言葉を紡ぐことなど、夢のようだ。




「ジュンくん、もう少しだよ!ぐっといっちゃえ!」

「ジュン、がんばれ!ショウくん、うごくなよー!」



ニノとサトシに煽られてジュンの唇がショウに触れようとしたその時。





「ダメーーーーーッ!!!」





ざばーっと湖の水が天へ向かって吹き上げたかと思えば、水柱の中から守護神マサキが姿を現した。




「ほうら、来たきた!」



ニノの読み通り、ジュンがショウに唇を施すことが許せなかったマサキは湖の中から飛び出して、ショウをジュンからひったくるように引き寄せ、強く抱きしめた。




「ショーちゃん、やだよ!オレ以外にキスなんかさせないでよ!」

(いやいやいや、そもそもオマエが俺の唇を奪ったのが原因だろが!!)


んーんーっと唸るショウと、ショウをぎゅうぎゅうに抱きしめるマサキ。




「なぁニノ、おめぇ初めっからコレ狙いか?」

「計算通りですよ」

「僕は当て馬ってことですか……」

「マサキが来なければ、ジュンがショウさん唇を助けることになったのは間違いないよ」



そんなニノの言葉は純粋なジュンには届かない。



「うう…ニノさん、ひどい……ショウさん……僕が助けたかった……」



ジュンは悲しさのあまりさめざめと泣き、蝶の姿に戻ってしまったのだった。



(ジュン……ありがとう……あ、そうだ!)

「んー、んん、ん、んんんん!」

「ショーちゃん!?ちょっと、なに言ってんだよ!ダメに決まってんだろ!」

「んん!?んん、ん!」

「それはそうだけどぉ……」




ジュンは2人の話がわからず、サトシの肩に止まり、様子を伺うと…。



「ショウくんが、『これから昼寝をする時はジュンが人の姿になって、守って貰いたい』って。んで、マサキのイタズラからこうなったんだからな、ってショウくん怒ってる」



ぱたぱたぱた!!



「ジュンもショウくんのそばに居てぇもんなぁ?」



ぱたぱたぱたぱた!!!



ジュンが羽ばたきで嬉しさを伝えてくる様子が可愛らしくて、サトシは言った。



「おめぇ、オイラの仲間になんねーか?ショウくんを一緒に守る忍びの修行つけてやる!」



ぱたぱた!

ふわんふわん♡




ジュンは嬉しくてみんなの周りを飛び回り、その様子は愛らしく、その場の全員の頬が緩むのだった。そして、マサキとショウの心を柔らかにする。



「ショーちゃん、ごめん。寝ているショーちゃんがあまりにも可愛くて綺麗で、どうしてもキスをしたかったんだ。でもだからって、大切な唇を奪い取ってしまって…ごめんなさい」



そう言ってマサキは美しいショウの唇を閉じ込めた水の宝箱を取り出した。



「ショーちゃんの唇。宝石みたいに綺麗で、ずっと眺めてた」

「まーくん?眺めてただけですか?」

「ちょ!ニノォ、それは言わないでよぉ!」

「フフ、ショウさん、まーくんを許してあげてくださいね、このひと、本当にあなたが好きすぎて見境なくなっちゃってただけなので。ある意味、愛のなせるワザってことですから」




ニノはマサキの幼なじみだけあって、なんでもお見通し。




「ほら、早いとこ唇返してやんねーと、ショウくんのニュースに間に合わねぇぞ?ま、オイラがむささびの術でひとっ飛びに連れて行ってやるけどな!」



そしてサトシは頼もしく、ショウにとっては兄のような存在なのだ。





マサキは宝箱を、まるで氷が解けていくように丁寧に水に戻すと、最後にはショウの唇だけがマサキの手のひらに残る。




「はぁ…きれい」




みとれるマサキ、うんうんと同じくみとれるサトシ、ニノ、ジュン。



(あー!俺の唇!マサキ、後でいくらでもキスしてやるから、いまはとにかく戻してくれ!)



ショウは目の前に現れた自分の唇を見て安堵すると共に、マサキにとんでもない約束をしてしまうのだった。




「え!マジで!?ショーちゃん、その約束、ゼッタイだかんな!」






そうしてショウは、やっとの事で赤く輝く美しい唇を取り戻し、サトシに送ってもらったおかげで無事に大切なニュース放送の時間に間に合い安堵した。





ニュースを見ながらマサキは思う。



「ショーちゃんてば、真面目なこと沢山言ってるけど、そのおしゃべりな唇はもうオレのものだからな、ふふふ!」





ショウの唇を奪った守護神マサキは湖の中でナニをしていたのか。

まさに、神のみぞ知る。







おしまい