ある日、退勤時間もとうに過ぎた、絶賛残業中。
「櫻井さん・・・あの、これ・・・よかったら」
相葉くんがコーヒーとフィナンシェを持って来てくれた。
「お、サンキュ・・・あー、ごめんな、付き合ってもらって」
「いえ、元はと言えば、オレがちゃんと先方に伝わるように指示を出せてなかったのが・・・。」
相葉くんが配属されてから2週間ほどが経った頃。
終業間際に明日締切の未発注案件が発覚した。
『相葉は櫻井の指示で動いている』ということがクライアントへうまく説明できておらず、先方は俺からの連絡待ちだった、とのこと。
青菜に塩、とはこの事だと言わんばかりの落ちこみよう。
俺のなで肩といい勝負になるくらい肩を落としている。
背の高い彼が、可哀想なくらい背を丸めて『ホントにすみません』と言いながら、上目遣いに俺を見る。普段は明るくあちこちに笑顔を振りまいてる分、そのギャップに思わず笑ってしまった。
「あはは、気にすんな・・・とは、まぁ言えないけど、相葉くんがこれで勉強になったなら、この程度のことは、むしろ儲けもんだよ」
「・・・櫻井さん・・・」
「次回から、頼むね」
「はい・・・本当に、申し訳ありませんでした」
ガバッと体を折りただんで、
めいっぱいの反省を見せてくれてるから、これ以上はナシだ。
「まぁ、相葉くんが帰る前に案件の進行チェックしてくれたからこうしてリカバリできてるわけだしさ!」
「はい、今後、もっと丁寧にお伝えするように気をつけます」
なおも顔をあげずに言うものだから
「はい、よろしくお願いします」
と、返して頭をぽんぽんとしてやる。
するとこれまたエラい勢いで起き上がって俺をなんとも言えない顔で見る彼の様子を前に、サッと血の気が引いた。
ヤベェ・・・何の気なしにやった『ぽんぽん』だけど、
コレって、ナントカハラスメント!?
「あ、ごめん、アタマ・・・ごめんな!?嫌だったよな?」
焦る俺にこれまた首を横にブンブン振って顔を赤くする相葉くん。ひしひしと迫る罪悪感。・・・マジでごめん。このご時世、性別にかかわらず、身体的接触は相当に気を使うべきなのに、今回は、あまりにも迂闊だった。
だが、俺自身がそういうことに気を遣ってきた自負がある。
であるにもかかわらず、相葉くんとこの2週間、いわゆる研修中という理由から、朝から晩までほとんどの時間を一緒に過ごす中で、彼の仕事ぶりやユーモアを好ましく思っていたのは事実だ。
職場の人間にもすぐ馴染んで、
控えめだけど明るい笑い声が楽しそうで。
みんなも彼をすぐに受け入れている様子は、俺も嬉しかった。
そして、彼の人の好さ、優しい雰囲気からうっかり距離の近い間柄だと勘違いしてしまっていたのかもしれない。
「あ、えっと、だいじょうぶ、です!こちらこそ大袈裟に驚いてしまって、すみません…あ、フィナンシェ、召し上がってください!」
気まずい空気をかえるように、相葉くんはお菓子を勧めてくれた。
「あ、うん、いただきます!」
ありがたくその気持ちに乗って、
もぐもぐタイムへ話題を変えようとしたが
・・・開かねぇ・・・。
なんなんだよ、こういう時に限って、パッケージされたビニールがどこからも全く千切れない。差し入れのお菓子を褒めて明るい雰囲気にしたかったが、そんな下心のせいか、余計に焦るばかり。
ビニールは伸びたり歪んだりするだけで一向に破れる気配がない。
「・・・くっそ・・・あぁ?・・・ンだよ、開かねーぞ、どーすりゃいいんだコレ」
思わず悪態をつくとクスクスと相葉くんが笑い始めた。
「櫻井さん、貸してください」
相葉くんは俺からビニールがくちゃっとしたフィナンシェを受け取ると、ハサミできれいに開封して渡してくれた。
「はは・・・ありがと。・・・面目ない」
「ふふ、こんなことでそんな顔しないでください」
「うん・・・では、ありがたくいただきます」
「どうぞ!オススメのお店のなんです!」
と両方の手のひらを見せるように可愛らしく『どうぞ、どうぞ』と促してくれるので勢いづいてパクっと一口で詰め込んだ。
「んっ!うっめ!!」
「ふふ!うまいですよね、コレ!この店のフィナンシェ、オレ大好きなんですよ!」
「そっか!マジでうまいね、なんて店?有名なとこ?」
「ninoって店なんでけど、最近、オープンしたんです。個人でやってるパティスリーなので、大きなトコではなくて」
「そっか・・・これからあんま人気でちゃうと買えなくなったら困るな」
「オレの自宅の近所なのでいつでも買ってきます!」
「お、マジか!また食えるの、今からたのしみだな」
「ありがとうございます!パティシエに伝えときますね!」
「あはは!宜しくお伝えください(笑)」
さっきまでの気まずい空気はとうになくなり、
なんとかハラスメント危機も脱したようだ。
マジで、相葉くんの気遣いと明るさに助けられた。
うん。
相葉くんがうちの部署に来てくれて、マジでよかったわ。
そして、相葉くんのこと、もっと知りたい。
仕事を超えて、彼を知りたい、そう思っていた。