①臨床試験

②絨毛膜羊膜炎(今まで書けませんでしたが、私のような思いを誰にもして欲しくないので、必ず書きます!)

③死産後に病室で赤ちゃんにしてあげられて良かったことや手続きなど。

少しずつ書き始めていますが、前2回の記事からの流れで、先に私の悩みを書き終わらせて下さい。鬱陶しくてすみません(。-人-。)!!

私が不妊治療や「天使ママ」の悲しみを綴る中、避けて通れない悩みだからです(ノ_・。)

第三子以上の不妊って、理解されがたいのは承知。友達も真剣に悩んでいたし、病院でよく見かける方もお子さんが二人いると知り、人にはそれぞれ事情があるんだと思います。

贅沢なことだと思われたら、本当にごめんなさいm(_ _ )m ただ、亡くした子を悲しむ苦しみは、上の子の有無にかかわらず、同じなんです・・・。

 

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私は、上の子たちへの罪悪感にも、ものすごく、ものすごく、悩みました。一番悩んだこと。

「様々な負担を伴う高度生殖医療をすること自体が、上のお子さんたちにとっては愛情が自分たちだけに向かっているわけではない、ということですから。」

と、大学病院の婦人科の先生に指摘され、違う!と反論する気力もなく。

悩んだ末に、心を決めて不妊外来を受診したのだけれど、それでも結果がなかなか出ないと、とりわけ陰性判定の日にたまたま凍結代を請求された時とか(これは本当にやめてほしい!よりによってそんな日に((>д<)))、採卵の麻酔の覚醒が遅くて、帰宅しても体調がすぐれない日とか、自己嫌悪( p_q)

私と主人の感覚では、お金や時間、マンパワーは、子供の人数が増えればある程度反比例するけれど、愛情は絶対量が増えるから、一人当たりへの愛情が減るわけじゃない。きょうだいと言っても、個性は全然違うし。

でも、それは私達親がそう思ってるだけかもしれない。治療のお金や時間、何よりも繰り返すつわり→流産→手術で体調を崩し、何やっているんだろう私。

子供たちの、きょうだいが去ったことに対する「なんで?」という問いにも、できるだけ言葉を選んできたつもりでした。

子供たちには、私の治療目的、ホルモン補充やヘパリン注射などの理由(赤ちゃんを授かることに怖いイメージを持って欲しくないので自己注射は見せたくなかったけれど、慣れていなかった頃、私が部屋からなかなか出て来ないのを心配して下の子が見に来てしまった)、子供たちが生まれて来た時や、初めてお腹にいることを知った日のこと、いろんな話を、分かる範囲で、せがまれるままに、繰り返し話してきました。クリニックや大学病院の先生方の名前も子供たちは知っています。

子供たちは、「葉明の写真見たい!」なんて明るく言ってくれたり、エンジェル・サウンズで葉明の心音を聞く時は、必ず子供たちの心音も聴診器で聴いたり、聴かせたり。

寂しい時は訴えてくれるから、バランスを取ってきているつもりだけど、「つもり」に過ぎないのかなぁ、と、心が疼く。

一時期、
「もし上の子まで・・・。」
という不吉な恐怖にとらわれたことがあって、怖かった。今もたまに、40℃台の発熱が続いたり(絨毛膜羊膜炎になった時、子供たちが夏風邪で40℃台の発熱)、子供の事故のニュースを聞いたりすると、夏の夕立雲みたいに、心に不吉な黒雲が立ち込める。

 

お腹の葉明に対しても。不安。

 

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一方、流産や死産をしていなければ、私が勝手に傷つくことのないはずの、子供たちとの生活。園の送迎や行事、役員などのお付き合い、入学すればPTAに行事の役員、参観など。習い事、小児科、地域の子供の行事やお祭。

子連れで行ける場所、入れるお店、子供が行きたがる場所、そういう場所には必然的に他のお子さん連れも集まり(女性は全員経産婦)、妊婦さん遭遇率も当然、高くなり。少子化なんて嘘じゃないの?と感じるくらい。

それまで何とも思ってなかったのに(それがしあわせなんでしょうが、無神経であったことを考えると、それで良かったのか?しあわせ、って、鈍感力も必要なのかもしれないですね。)、ガラリと環境が変わって見えました。

私は、妊婦さんを見てうらやましいとかつらいと思ってはいけない、と自分に不必要なくらい言い聞かせました。

無事に出産できると信じて疑っていない方と、無難な話をニコニコとしながら、自分が産んであげられなかった子を思い出して、ちょっとぼんやり、時間が逆戻り。亡くしたあの日、あの時のことを思い出してしまう。

 

「なぜ私が?なぜあの子が?」

無事に出産できることが大前提、ということに羨望し、私もそうだったんだからとやかく思う資格はないな、と、気持ちが宙に浮く。でも、その場から逃げられないし、逃げていたら生活が回らない。


もっと、流産や死産など、「小さな」命も、堂々と悲しめるといいのにな。子連れでしあわせそうなお母さんでも、泣き方を忘れて笑顔しかできなくて、亡くした子に悲しみ苦しんでいる場合もあります。

さあ、これでおしまい!読んで下さり、本当にありがとうございますm(_ _ )m!!