実は私たちの人生は、かなりの部分『他人が決めている』ものである。
そんなことはないと思う読者もいるかもしれないが、少し考えてみてほしい。
『あなたの給料は誰が決めたものであろうか?』あなたが、
『今年はよく働いたから1000万円にしよう』と言っても、上司に一笑されてしまうのが
オチだ。これは給料に限らない。
営業マンなら、『買う』『買わない』を決めるのは
顧客。結婚相手を決める場合も、相手が『ノー』と言ったならオシマイだ。

『山本くん、君は来月から仙台に行ってもらうよ』と言われてしまえば、
住む場所さえ他人が決めてしまうのである。

ここで大切なのは、あなたの能力はあなたが決めているのではないということだ。

つまり、『出来る人』という評価は常に【他人が行っているのである。

ということは、仕事が出来ることはともかくとして、

『できる人と思われること』『できる人と評価されること』が大切になってくる。



『朝起きたら毎日5分間、今日のスケジュールを頭の中でシミュレーションしながら最上の行動パターンを考える』

『物事を判断するには、溢れかえる情報を必ず三つに集約してから判断する』

このようなベーシックでありながらも重要な習慣や考え方は、すべて著者の言葉から記憶したものです。
ケニアのツルカナ族という部族という部族の村にテレビの取材で、行ったことがあります。本格的な取材の前日に、ディレクターが、トウモロコシ三袋と、かみタバコ三キロを持って行くと約束をした。そして実際、彼は翌日に約束の品を持って行った。

すると、成人男子は、成人男性は村にはいない。遊牧民だから、みんな牛を連れて山に
行ってしまっている。いるのは、じいさん、ばあさん、子供だけです。要するに、女、
子供、年寄がいる。その連中が歌って踊って我々を大歓迎している。通訳に、
彼らが何と言って歌っているのか、翻訳してもらった。その歌は、こういう歌詞でした。

『この間、選挙で投票して当選した人は、あれもする、これもするっていろんな約束し
たけど、何もしない。昨日、お土産を持ってくるって約束したお客様はちゃんと持ってきた』

我々からすれば、まだ自然の中で生活している、都市化されていないはずの彼らの世界で

すら、すでに約束についての懸念が日本の政界と変わらなくなっている。

脳科=都市化が世界中に広がっているわけです。