2024年の元旦から石川県能登地震が起こり、1月2日にはJAL機と海保の航空機が衝突炎上し、たくさんの犠牲者が出ました。

本来なら、お正月は『あけましておめでとうございます』と言うところですが、新年早々の大惨事に日本中が悲しみに包まれました。

今回の石川県能登半島地震によりお亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

羽田空港の事故により殉職された海上保安庁の5名の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

厳しい寒さの能登の被災地では、被災された方々、懸命の捜索活動や被災者に寄り添い活動される自衛隊、消防、警察、市職員などの方々のご苦労は如何ばかりかと思うとほんとうに胸が痛くなります。

今回の地震でも、パニックにならない日本人の冷静さや人を助ける優しさや助け合いの精神が世界中の人を驚かせています。

 

2日に起きたJAL機の事故は不幸な事でしたが、幸いにもJAL機から乗客乗員379人 全員が無事に脱出できたことは、世界中から〝奇跡〟と称賛されています。

それは、日ごろから徹底して訓練されたJALのCAのみなさんの行動とパニックにならない日本人の冷静さがそれを可能にしました。

大きな災害の度に日本人の行動には世界中の人々を驚嘆させます。

 

かつて、311の東日本大震災では、一人の日本人の行動に世界中が絶句しました。

自分の家族も被災してどうなっているかもわからない中で、自分の事よりも

他国の人々を優先し助けた日本人の魂は、ほんとうに素晴らしいと思いました。

 

【海外の反応】「日本人は狂っている」大津波が迫りくる中、1人の日本人の行動が3500万回再生され世界中が絶句

 

宮城県女川町 地元民の助けで中国人研修生約百人が生還

「地元の人々の助けがなければ、私たちはとっくに死んでいたでしょう。」
 中国・大連出身の研修生・衣亜男さんとその仲間は宮城県女川町で目に涙をためながらこう語った。
 女川町はこのたびの地震で、人口約1万人のうち半数以上が今も行方不明となっている。町内は一面の廃墟と化し、海岸線にはいくつもの遺体が打ち寄せられた。鉄道車両は津波で真っ二つとなり、レールから数十メートル離れた山に打ち付けられた。これほど深刻な被害を受けた女川町で、約百人の中国人研修生が難を逃れることができた。多くの人は地元の人の助けにより九死に一生を得たという。
 地震発生時、地面が激しく揺れた。佐藤水産株式会社の中国人研修生20人は宿舎付近の高台に避難した。まもなく、同社の佐藤充専務が「津波が来たぞ!」と叫びながら走ってきて、彼女たちを連れてさらに高い場所にある神社へと避難した。研修生を避難させた後、佐藤専務は妻と娘を探すため宿舎に戻った。しかし、宿舎はまもなく津波に呑まれ、佐藤専務はそれっきり戻ることは無かったという。

http://www.avis.ne.jp/~nihao/11-jishin-2.html

 

 

命を懸けて助けた日本人の行動はほんとうに素晴らしく、

国を越えて感動を与えますキラキラ

日本人に生まれたことを本当に誇りに思います。

 

本日、1月17日で、阪神・淡路大震災から29年になります。

震災により、多くの命や大切なものが奪われました。 犠牲となられた多くの方々にご冥福をお祈りいたします。

 

2024年、困難から出発しましたが、必ず日本は復興できる。

能登の被災地が一日も早く復興しますように。

そう信じ、祈ります。