何度も見てます。
『Beginner』のPV ORIGINAL VERSION
秋元才加さんの件と同様、賛否両論、色んな方々が色々な視点から意見・感想を言っています。
どれも間違いではないと思います。
ここでは、沢山の人から聞いたり、ネットにあった意見を交えながら、僕なりの感想を書きたいと思います。
今回のPV監督は映画『下妻物語』『嫌われ松子の一生』『告白』で知られる中島哲也監督でした。好きな映画監督の一人です。
ゲームに没入する若者への警鐘と「痛みを通して"生"の意味を問う」という中島監督の確固たるメッセージが集約された作品が今回の「Beginner」でした。
PVの中で、最も衝撃的かつ"痛み"を感じさせるのが、前田さんが約20秒にわたって絶叫するシーン。ゲーム内の大島さんと前田さんが敵に抑えつけられ、大島さんが最後の力を振り絞るかのように、前田さんを捕らえた敵を破壊し、その直後敵に貫かれて大島さんは圧死。前田さんは右手を拘束され動けない。
ゲーム内の前田さんとそれを操る前田さんはリンクしており、右手から赤い鮮血が流れ、両者をつなぐ脊髄についたプラグが外れると前田さんは絶叫し、もはや咆哮と呼ぶべき衝撃的なシーン。凄惨なまでの悲鳴は痛みの象徴であるとともに、その痛みこそが、"生"の意味を実感させる産声のメタファーのようだ。そして、ゲーム内の前田さんは自ら腕を引きちぎり、敵に立ち向かう。
それは、時に絶望的状況下では、片腕を切り捨ててでも"生"を享受すべきというメッセージに違いない。単に奇をてらった作品では一切なく、秋元康総合プロデューサーの歌詞を反映した明確な意図を込め、メンバー間の関係性すらも物語に組み込んだかのような作品に仕上がっていると思いました。
一般的にアーティストは、売れれば売れるほど、メッセージ性のある作品は避け、政治的思想や宗教ネタは特にタブーになります。とあるアーティストは、戦争の際に『NO WAR』という意見広告を新聞に掲載し、一部団体の反感を買い、メンバーや家族を危険にさらしたことはつとに有名です。だから日本の音楽は『♪会いたい』の歌詞ばかりの安易なラブソングが量産されていると思います。AKB48はまさにその『会いたかった』でデビューし、『軽蔑していた愛情』で自殺を描いたり、チームB3rdの『命の使い道』では援助交際をテーマに掲げるなど常にアグレッシブ。『桜の栞』で岩井俊二監督、『ヘビーローテーション』で蜷川実花監督を迎えたのに続き、ブレイクしてなお、中島監督の作家性を生かした『Beginner』で、ここまで文字通り"痛み"の伝わる野心的なPVを制作したトライアルは、もっと評価されるべきだと思います。
RPGをプレイしたことのある人間なら誰もが一度は「人生にもセーブポイントとリセットの概念があれば」と思うでしょう。ですが、現実には時間は遡行できず、一度犯した失態を消し去ることは不可能。しかし、人間はどんなに汚濁にまみれ、恥辱をさらしても、生きながらに生まれ変わることができるはず。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』で語る。「苦痛こそ生活なのだ。苦痛がなければいったい人生にどんな快楽があろう」と。ヘンリー・ミラーは語る。「安全な道を求める人は、痛みを与えることのない義手義足に取り替えるために、自分の手足を切り離す人みたいなもの」と。
中学生が「リアクションが面白い」としてホームレスに熱湯かけ、大やけどを負わせる事件すら発生する現代。子どもが親から叱られずに育ち、周囲も咎めない状況で増長した子どもがそのまま親となり"モンスターペアレント"と化し、負の連鎖が続く。利便性の向上によって、互いを思いやるイマジネーションが欠如し、人々はさらにディスコミュニケーションになっていく。その状況下で、AKB48は、"会いに行けるアイドル"として劇場公演や握手会というファンとの交流を通して成長してきました。心優しいファンが大多数だが、時に握手会では暴言を吐かれ、初期の旧チームKは、旧チームAと比較され、公演中に罵声を浴びせられていたことで知られています。そんな苦痛を味わいながら、アイドルとしての階段を上ってきたのも事実です。そんな痛みを知るAKB48だけに、現代の"無痛化社会"への警鐘を写し取ったかのようなPVは、適任だったと思います。中島監督の確固たる信念に基づいて制作されたPV、僕はいい作品だと思います。
『Beginner』のPV ORIGINAL VERSION
秋元才加さんの件と同様、賛否両論、色んな方々が色々な視点から意見・感想を言っています。
どれも間違いではないと思います。
ここでは、沢山の人から聞いたり、ネットにあった意見を交えながら、僕なりの感想を書きたいと思います。
今回のPV監督は映画『下妻物語』『嫌われ松子の一生』『告白』で知られる中島哲也監督でした。好きな映画監督の一人です。
ゲームに没入する若者への警鐘と「痛みを通して"生"の意味を問う」という中島監督の確固たるメッセージが集約された作品が今回の「Beginner」でした。
PVの中で、最も衝撃的かつ"痛み"を感じさせるのが、前田さんが約20秒にわたって絶叫するシーン。ゲーム内の大島さんと前田さんが敵に抑えつけられ、大島さんが最後の力を振り絞るかのように、前田さんを捕らえた敵を破壊し、その直後敵に貫かれて大島さんは圧死。前田さんは右手を拘束され動けない。
ゲーム内の前田さんとそれを操る前田さんはリンクしており、右手から赤い鮮血が流れ、両者をつなぐ脊髄についたプラグが外れると前田さんは絶叫し、もはや咆哮と呼ぶべき衝撃的なシーン。凄惨なまでの悲鳴は痛みの象徴であるとともに、その痛みこそが、"生"の意味を実感させる産声のメタファーのようだ。そして、ゲーム内の前田さんは自ら腕を引きちぎり、敵に立ち向かう。
それは、時に絶望的状況下では、片腕を切り捨ててでも"生"を享受すべきというメッセージに違いない。単に奇をてらった作品では一切なく、秋元康総合プロデューサーの歌詞を反映した明確な意図を込め、メンバー間の関係性すらも物語に組み込んだかのような作品に仕上がっていると思いました。
一般的にアーティストは、売れれば売れるほど、メッセージ性のある作品は避け、政治的思想や宗教ネタは特にタブーになります。とあるアーティストは、戦争の際に『NO WAR』という意見広告を新聞に掲載し、一部団体の反感を買い、メンバーや家族を危険にさらしたことはつとに有名です。だから日本の音楽は『♪会いたい』の歌詞ばかりの安易なラブソングが量産されていると思います。AKB48はまさにその『会いたかった』でデビューし、『軽蔑していた愛情』で自殺を描いたり、チームB3rdの『命の使い道』では援助交際をテーマに掲げるなど常にアグレッシブ。『桜の栞』で岩井俊二監督、『ヘビーローテーション』で蜷川実花監督を迎えたのに続き、ブレイクしてなお、中島監督の作家性を生かした『Beginner』で、ここまで文字通り"痛み"の伝わる野心的なPVを制作したトライアルは、もっと評価されるべきだと思います。
RPGをプレイしたことのある人間なら誰もが一度は「人生にもセーブポイントとリセットの概念があれば」と思うでしょう。ですが、現実には時間は遡行できず、一度犯した失態を消し去ることは不可能。しかし、人間はどんなに汚濁にまみれ、恥辱をさらしても、生きながらに生まれ変わることができるはず。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』で語る。「苦痛こそ生活なのだ。苦痛がなければいったい人生にどんな快楽があろう」と。ヘンリー・ミラーは語る。「安全な道を求める人は、痛みを与えることのない義手義足に取り替えるために、自分の手足を切り離す人みたいなもの」と。
中学生が「リアクションが面白い」としてホームレスに熱湯かけ、大やけどを負わせる事件すら発生する現代。子どもが親から叱られずに育ち、周囲も咎めない状況で増長した子どもがそのまま親となり"モンスターペアレント"と化し、負の連鎖が続く。利便性の向上によって、互いを思いやるイマジネーションが欠如し、人々はさらにディスコミュニケーションになっていく。その状況下で、AKB48は、"会いに行けるアイドル"として劇場公演や握手会というファンとの交流を通して成長してきました。心優しいファンが大多数だが、時に握手会では暴言を吐かれ、初期の旧チームKは、旧チームAと比較され、公演中に罵声を浴びせられていたことで知られています。そんな苦痛を味わいながら、アイドルとしての階段を上ってきたのも事実です。そんな痛みを知るAKB48だけに、現代の"無痛化社会"への警鐘を写し取ったかのようなPVは、適任だったと思います。中島監督の確固たる信念に基づいて制作されたPV、僕はいい作品だと思います。