おはようございます。

 

昨日は父の病院に弟が仕事を半日休んで行ってきました。

 

無駄に叔父が来たみたいですけど。

 

私は行きませんでした。

 

行くわけがありません。

 

こっちも論文の追い込み作業がありますからそちらを優先した。

 

のこのこと病院に父といったら責任者だと思われて本格的に介護要員にされかねない。

 

今でも十分介護要員にされている感じはあるのですが優先順位が介護はだいぶ低いので最低限のことしかしていませんし、

 

もう介護に疲れたんで全面的に放棄しているのです。

 

しかし、親族は意味不明なのですが

 

弟が家から病院に送って叔父と弟が途中まで話を聞いた後父と叔父は車で帰ってきたのですが家の前にコメを5キロの袋2つ置いたら私にも何の挨拶も何もなくおいて何もしないで帰っていきました。家の前なので家にも入っていきませんでした。

 

だけど夜に米を置いていっただけで介護したみたいなズラされた。

 

ふざけるなよ。という感じです。

 

第一米置いていっても困る。

 

どうしろと?

 

家で食事していると自分のお金で買ったものでも穀つぶしと言われるのですよ。

 

兄弟は家で食事はしませんし、ご飯を炊くなんて父にはできませんからね。

 

米の袋を開けてもどうせ虫が湧くなので誰も米はいらないという感じです。

 

それに家で食事を作る時間がない。食事する時間もない人間にどうしろと?

 

兄弟の生活の困難さも知らずによくこんなことできるよなって

 

わざわざ遠いところから米だけ持って来るのはごくろうさまという感じですが

 

いつも電話越しに決めつけで私が何もしていないみたいなこと言っているのであれば

 

せっかくなら家の中見ていけばいいのにって思う。

 

結局は口だけ出して的外れなプレゼンとして支援した、病院に行ったから介護したという気になっている。

 

むかつくしなんて都合のいい人間なんだろうって。

 

楽ちんでいいよな

 

それで介護や支援した気になってんだから

 

本心です。

 

中々介護していると葛藤することが多くなりますし、殺意も毎日のように理性で抑え込んで

体もそこらじゅうあざだらけ、傷だらけで寝不足で体力的にきつい。

精神面でも本人から親族から、社会から攻撃され続ける。

もう涙は枯れてしまいました。

心も最近はひどいことを言われてもいちいち傷ついていたら持たないから

なんとも思わない、考えない。という事も増えてきた。

どうせ考えても一緒だしどうにかなる事でもないって

 

周りの教授や友人たちは介護の恐ろしさを知らない。

 

症状が良くなると思っている。

 

良くなる事は絶対にありえない。落ちるしかないのだ。

 

緩やかに落ちることもまずない。

 

この戦いが終わるときは父が死ぬ時であるし、明日は症状が今日よりも悪化している。

 

希望もゴールもないのだ。父は63歳である。まだよぼよぼの80歳を超えてからの認知症とはわけが違う。

 

これからも寿命は長いのである。わからないが平均寿命までまだだいぶある。

 

しかし症状には終わりはある。寝たきりで何一つできないだけでなく、常に人が監視をしていないといけないという。

その状態になっても人生は長い。

 

消耗戦であり、介護者は命を削り、自分の人生やチャンスを削って介護せざるえない。

 

多分自分は10歳ぐらい寿命を削ったような気がする。

 

まだ20歳なのに白髪が目立ってきた。抜け毛もすごい。

 

なんとなく老けたような気もする。

 

でもそれでも周りに話を聞いてくれる人がいるのは大変ありがたい。

 

介護はゴールはない、一寸先は深い闇であり、向かい風で足元はロープ一本

 

綱渡りです。

 

私みたいに介護を放棄するという選択は社会からはバッシングされますし、人格否定をされ続ける苦行です。

でもそれでも介護の苦行に比べたら水あめのように甘い。

苦もすくなく耐えられる。

 

 

明日バイトをやめるといってきます。法律上2週間前までであれば権利が保障されているという事を知ったのでさっさとやめる。

 

老舗では働いてはいけません。教訓です。

 

 

さて、日曜日から台湾に1週間ほど旅行に行ってきます。

 

発散といったところです。

 

大学の授業は始まっているのですがその時期しかチケットが取れなかったので

 

指導教授の授業もいるのですが快く承諾してくださりました。

 

それだけでなく、台湾の紹介されている雑誌や料理本などたくさん貸してくださって

 

楽しんで来いよという感じ

 

ありがたい。

 

台湾には親族には秘密です。

 

しれたら何言われるか分かっていますし、保険金目当てで殺されるかもしれません。

 

今は親族からしたら私の命は保険金よりも安いですから。

 

しかし、気がかりもあります。

 

教授なのですが

 

毎回話を聞いてくださるのですが重たくなっているのではなっていないかという事です。

 

私はこの世では平穏に生活なんてできませんから毎回なにかは必ず死にたくなるようなことが起きてしまいます。

土日は悲惨です。

大学に行かない日は必ず介護疲れ起こします。

 

それを話すのですが

 

はなしすぎた?

 

と思うようになったんです。

 

教授は気を使って心配してくださるので話を聞いて親身なって考えてくださり、助言をくださったりそっかーって言ってくださるのだが

 

それが重荷になっていないか

気がかりなんです。

 

彼は情報の取捨選択が抜群なのですが

 

多分忘れていないような気もする。

 

でも考えすぎかなってね。

 

一学生に対してねって考えるのですが

 

でもわからない。

 

教授のやさしさを利用して自分の罪悪感や辛さを和らげようとした?

 

教授はその分気を使わなければいけなくなったような・・・

 

態度を変えないという気遣い。

 

少し、今度会うときからは

 

その話はしないようにしようかとおもっています。

 

その方が適度な距離を保つには重要かなと。

 

その前に大量のお土産を買ってこないとね。

 

夏の間毎日面倒見てくださったわけですし、

 

お互いが一日の半分以上、家族よりも長く同じ部屋で作業してきたわけですから

 

なんとなく感覚で教授が何をしたいのか話したいのか、癖とかどう思っているのかとかわかってきたからなおさら。

 

教授に信頼されているのがわかるからなんとしてでもこの信頼を崩すわけにはいかない。

 

失ってはいけない

 

遠慮してはいけないような気もするし、ある程度遠慮もしなければいけないだろうと思う自分もいる。

 

教授はそんなこと考えてる暇ないな

 

よくよく考えるとそれどころではないわ

 

秋学期の授業の準備が何一つできてないこのままだと自転車操業ていっていたし

 

 

しかしまあ 秋学期は

 

成績を上げる事が

 

最優先か。

 

いくら介護が出来ても成績が悪いとゴミくずですから。

 

成績は上がってきているがまだ主席の椅子の射程圏外。

 

成績が下がることはあってはならない。

 

どこ見ても頭の痛いことばかりなようもしているが

 

とにかくは穢れ諸々台湾に置いてくることにする。